原本画像(巻一・11丁 「序論・医の本旨」)
③ 日本語訳(現代語訳)
そもそも医学の書物は実に広範で、扱われていない事柄は一つもない。
だが医術の要点は、病を治すというただ一筋の道から外れることがなく、人体より外のことを論じるものではない。
人体が病を起こす原因は千差万別で、一人として同じ者はいない。そうである以上、医書がどれほど広範であっても、なお足りない部分があるかのように見える。
なぜなら、人はそれぞれ生まれつきの体質が異なり、病もまた、風・寒・熱のうちどれが主でどれが従となるかによって、一つひとつ異なるからである。
風・寒・熱の違いに、体質の違いまで重なれば、病状は次々と現れて、際限がなくなる。
だが医術の要点は、病を治すというただ一筋の道から外れることがなく、人体より外のことを論じるものではない。
人体が病を起こす原因は千差万別で、一人として同じ者はいない。そうである以上、医書がどれほど広範であっても、なお足りない部分があるかのように見える。
なぜなら、人はそれぞれ生まれつきの体質が異なり、病もまた、風・寒・熱のうちどれが主でどれが従となるかによって、一つひとつ異なるからである。
風・寒・熱の違いに、体質の違いまで重なれば、病状は次々と現れて、際限がなくなる。
② 書き下し文(ルビ付)
夫れ医籍は広博にして、備はらざる所なし。
其の要、病を治するの一途に出でざるときは、復た人身の外を論ずる者なし。
人身の病を致す所以は、千差万別にして、一人として同じき者なきときは、医書の広博なるも、猶ほ足らざる所あるに似たり。
何となれば、人々稟賦同じからず、病も亦た風寒熱の主客ありて、皆異なり。
風寒熱の異なるを以て、稟賦の同じからざるに加ふるときは、其の病状いよいよ出でて、いよいよ窮まりなし。
其の要、病を治するの一途に出でざるときは、復た人身の外を論ずる者なし。
人身の病を致す所以は、千差万別にして、一人として同じき者なきときは、医書の広博なるも、猶ほ足らざる所あるに似たり。
何となれば、人々稟賦同じからず、病も亦た風寒熱の主客ありて、皆異なり。
風寒熱の異なるを以て、稟賦の同じからざるに加ふるときは、其の病状いよいよ出でて、いよいよ窮まりなし。
① 原文(翻刻)
夫醫籍廣博ニシテ備ハラザル所ナシ
其要病ヲ治スルノ一途ニ出ザルトキハ復タ人身ノ外ヲ論ズル者ナシ
人身ノ病ヲ致ス所以ハ千差萬別ニシテ一人トシテ同ジキ者ナキトキハ醫書ノ廣博ナルモ猶足ラザル所アルニ似タリ
何ントナレバ人々稟賦同ジカラズ病モ亦風寒熱ノ主客アリテ皆異ナリ
風寒熱ノ異ナルヲ以テ稟賦ノ同ジカラザルニ加フルトキハ其病状愈出テ愈窮リナシ
其要病ヲ治スルノ一途ニ出ザルトキハ復タ人身ノ外ヲ論ズル者ナシ
人身ノ病ヲ致ス所以ハ千差萬別ニシテ一人トシテ同ジキ者ナキトキハ醫書ノ廣博ナルモ猶足ラザル所アルニ似タリ
何ントナレバ人々稟賦同ジカラズ病モ亦風寒熱ノ主客アリテ皆異ナリ
風寒熱ノ異ナルヲ以テ稟賦ノ同ジカラザルニ加フルトキハ其病状愈出テ愈窮リナシ
原本画像(巻一・38丁 「方剤の運用(小柴胡湯ほか)」)
③ 日本語訳(現代語訳)
体内の水分が枯らされ、その残りまでもが熱に押し出されて、すべて外へ攻め上へ迫っていく。そのため胃の中には一滴のうるおいも残らず、熱がこもって蒸れ、内側がいっぱいに詰まった状態の熱である。だから必ず便が出なくなり、乾いた糞のかたまりができるのだ。
「潮(しお)」というのは、潮が満ちてくるときには、海に面した岸辺の小さな水路に至るまで、どこもかしこも水が満ちてあふれないところはない、ということだ。
潮熱でも同じで、熱が腸や胃に勢いよく満ちあふれ、そのあり余る勢いが押し寄せて、体の水分を外へ押し出し、胃の外から皮膚の表面に至るまで水分を満ちあふれさせるのである。
ところが、これを解説する人たちは、なぜそうなるのかという理由を突きつめて考えず、潮の満ち引きのように決まった時刻にやってくる熱だ、と説明している。
また、ある説では全身にこもって満ちる熱だと言い、また別の説では午後から夜にかけて現れる熱だと言っている。
これらはどれも「潮」の字を、熱だけに片寄った言葉づかいと受け取ってしまい、その熱が水分を上へ攻め外へ迫り出させるという肝心な点には目を向けていない。
そうした人々の説を聞き、その文章を読むと、発熱・身熱・灼熱・悪熱などをきちんと区別しているように見える。しかしこれを実際の病状に照らし合わせてみると、あいまいでぼんやりしており、よりどころとなる確かな根拠がない。
なぜなら、発熱も身熱も灼熱も悪熱も、同じように時に現れたり時に去ったりし、どれも全身に満ちてくるものだからである。それならどんな区別を立てて、これらを実際の病に照らし分けられるというのか、できはしない。
それゆえ、時には、上へ迫り出す水分のほうが主役となり、胃の熱のほうが脇役にまわるような潮熱もあるのだ。
だから、熱という側面だけでこの潮熱を理解しようとしてはならないのである。
『傷寒論』陽明篇にこう述べている。陽明病で潮熱を発し、便はゆるく、小便はふつうに出て、胸からわき腹にかけての張りが取れない場合には、小柴胡湯がこれを治す主薬となる。
このような潮熱を、決まった時刻にやってくる熱だと言えるだろうか。午後から夜にかけて現れる熱だと言えるだろうか。いや、そうは言えない。
この病証は、陽明の胃の中の熱が水分を胸やわき腹のほうへ押し出し、その熱が水分と一緒になって、居場所を胸脇へと移したものなのである。
だから腸や胃から下の部分は穏やかで病的な熱がない。それゆえ条文では「便はゆるく、小便はふつうに出る」と述べているのである。
これらのことから考えてみると、潮熱とは、水分を押し出して上へ攻め外へ迫らせる働きをもつ胃の熱であることに、疑いの余地はない。
またこうも言っている、その……
「潮(しお)」というのは、潮が満ちてくるときには、海に面した岸辺の小さな水路に至るまで、どこもかしこも水が満ちてあふれないところはない、ということだ。
潮熱でも同じで、熱が腸や胃に勢いよく満ちあふれ、そのあり余る勢いが押し寄せて、体の水分を外へ押し出し、胃の外から皮膚の表面に至るまで水分を満ちあふれさせるのである。
ところが、これを解説する人たちは、なぜそうなるのかという理由を突きつめて考えず、潮の満ち引きのように決まった時刻にやってくる熱だ、と説明している。
また、ある説では全身にこもって満ちる熱だと言い、また別の説では午後から夜にかけて現れる熱だと言っている。
これらはどれも「潮」の字を、熱だけに片寄った言葉づかいと受け取ってしまい、その熱が水分を上へ攻め外へ迫り出させるという肝心な点には目を向けていない。
そうした人々の説を聞き、その文章を読むと、発熱・身熱・灼熱・悪熱などをきちんと区別しているように見える。しかしこれを実際の病状に照らし合わせてみると、あいまいでぼんやりしており、よりどころとなる確かな根拠がない。
なぜなら、発熱も身熱も灼熱も悪熱も、同じように時に現れたり時に去ったりし、どれも全身に満ちてくるものだからである。それならどんな区別を立てて、これらを実際の病に照らし分けられるというのか、できはしない。
それゆえ、時には、上へ迫り出す水分のほうが主役となり、胃の熱のほうが脇役にまわるような潮熱もあるのだ。
だから、熱という側面だけでこの潮熱を理解しようとしてはならないのである。
『傷寒論』陽明篇にこう述べている。陽明病で潮熱を発し、便はゆるく、小便はふつうに出て、胸からわき腹にかけての張りが取れない場合には、小柴胡湯がこれを治す主薬となる。
このような潮熱を、決まった時刻にやってくる熱だと言えるだろうか。午後から夜にかけて現れる熱だと言えるだろうか。いや、そうは言えない。
この病証は、陽明の胃の中の熱が水分を胸やわき腹のほうへ押し出し、その熱が水分と一緒になって、居場所を胸脇へと移したものなのである。
だから腸や胃から下の部分は穏やかで病的な熱がない。それゆえ条文では「便はゆるく、小便はふつうに出る」と述べているのである。
これらのことから考えてみると、潮熱とは、水分を押し出して上へ攻め外へ迫らせる働きをもつ胃の熱であることに、疑いの余地はない。
またこうも言っている、その……
② 書き下し文(ルビ付)
竭せられ、其の余波其の熱に推し出されて、皆外攻し上迫す。故に胃中に一滴の滋潤も無く、欝蒸満実する熱なり。故に必ず不大便・燥屎あるなり。
潮とは、潮水の方に来る時、海に浜する処の小渠まで、咸く満渋せざることなし。
其の熱腸胃に突満して、其の余勢の滔漫、水液を推し出して、胃外より肌表に至るまで、満渋せしむるなり。
然るに説者、然る所以を推し究めずして、潮水の時を定めて来るが如き熱なりとす。
又或る説に一身に満渋するの熱とす、又午後より暮夜に出づるの熱とす。
皆潮の字を以て、熱一偏の形容に取りて、水液を上攻外迫せしむるに、眼を着けず。
其の言を聞き、其の文を見るは、発熱・身熱・灼熱・悪熱等の弁別あるに似たれども、これを実病に徴するときは、糢糊として適拠なし。
何となれば、発熱・身熱・灼熱・悪熱も、亦た時に来り、時に去り、皆一身に満ちて来る。何の弁別ありてか、これを実病に徴せんや。
故に間々、上迫の水液主となりて、胃熱客となるの潮熱あり。
これ熱のみを以て、この潮熱を解すべからず。
陽明篇に云ふ、陽明病、潮熱を発し、大便溏、小便自可、胸脇満ちて去らざる者は、小柴胡湯之を主る。
此くの如き潮熱、時に来るの熱とせんや、午後より暮夜に発するの熱とせんか。
此の症は陽明胃中の熱、水液を胸脇に推し出でて、其の熱水液と俱に、位を胸脇に転ずる者なり。
故に腸胃以下、和して病熱なし。故に大便溏、小便自可と云ふ。
是に由りてこれを観れば、潮熱は、水液を推し出して、上攻外迫せしむるの、胃熱なること疑なし。
又云ふ、其の
潮とは、潮水の方に来る時、海に浜する処の小渠まで、咸く満渋せざることなし。
其の熱腸胃に突満して、其の余勢の滔漫、水液を推し出して、胃外より肌表に至るまで、満渋せしむるなり。
然るに説者、然る所以を推し究めずして、潮水の時を定めて来るが如き熱なりとす。
又或る説に一身に満渋するの熱とす、又午後より暮夜に出づるの熱とす。
皆潮の字を以て、熱一偏の形容に取りて、水液を上攻外迫せしむるに、眼を着けず。
其の言を聞き、其の文を見るは、発熱・身熱・灼熱・悪熱等の弁別あるに似たれども、これを実病に徴するときは、糢糊として適拠なし。
何となれば、発熱・身熱・灼熱・悪熱も、亦た時に来り、時に去り、皆一身に満ちて来る。何の弁別ありてか、これを実病に徴せんや。
故に間々、上迫の水液主となりて、胃熱客となるの潮熱あり。
これ熱のみを以て、この潮熱を解すべからず。
陽明篇に云ふ、陽明病、潮熱を発し、大便溏、小便自可、胸脇満ちて去らざる者は、小柴胡湯之を主る。
此くの如き潮熱、時に来るの熱とせんや、午後より暮夜に発するの熱とせんか。
此の症は陽明胃中の熱、水液を胸脇に推し出でて、其の熱水液と俱に、位を胸脇に転ずる者なり。
故に腸胃以下、和して病熱なし。故に大便溏、小便自可と云ふ。
是に由りてこれを観れば、潮熱は、水液を推し出して、上攻外迫せしむるの、胃熱なること疑なし。
又云ふ、其の
① 原文(翻刻)
竭セラレ、其余波其熱ニ推出サレテ、皆外攻上迫ス、故ニ胃中ニ一滴ノ滋潤モ無ク、欝蒸満実スル熱ナリ、故ニ必ズ不大便燥屎アルナリ。
潮トハ、潮水ノ方ニ来ル時、海ニ浜スル処ノ小渠マデ、咸ク満渋セザルヿナシ。
其熱腸胃ニ突満シテ、其余勢ノ滔漫、水液ヲ推出シテ、胃外ヨリ肌表ニ至ルマデ、満渋セシムルナリ。
然ルニ説者、然ル所以ヲ推究メズシテ、潮水ノ時ヲ定メテ来ル如キ熱ナリトス。
又或説ニ一身ニ満渋スルノ熱トス、又午後ヨリ暮夜ニ出ルノ熱トス。
皆潮ノ字ヲ以テ、熱一偏ノ形容ニ取テ、水液ヲ上攻外迫セシムルニ、眼ヲ着ズ。
其言ヲ聞、其文ヲ見ル或ハ、発熱身熱灼熱悪熱等ノ弁別アルニ似タレドモ、コレヲ実病ニ徴スルトキハ、糢糊トシテ適拠ナシ。
何ントナレバ、発熱身熱灼熱悪熱モ、亦時ニ来リ、時ニ去リ、皆一身ニ満テ来ル、何ノ弁別アリテカ、コレヲ実病ニ徴センヤ。
故ニ間々上迫ノ水液主トナリテ、胃熱客トナルノ潮熱アリ。
コレ熱ノミヲ以テ、コノ潮熱ヲ解スベカラズ。
陽明篇ニ云、陽明病、発潮熱、大便溏、小便自可、胸脇満不去者、小柴胡湯主之。
此ノ如キ潮熱、時ニ来ルノ熱トセンヤ、午後ヨリ暮夜ニ発スルノ熱トセンカ。
此症陽明胃中ノ熱、水液ヲ胸脇ニ推出テ、其熱水液ト俱ニ、位ヲ胸脇ニ転ズル者ナリ。
故ニ腸胃以下、和シテ病熱ナシ、故ニ大便溏、小便自可ト云フ。
是ニ由テコレヲ観レバ、潮熱ハ、水液ヲ推出シテ、上攻外迫セシムルノ、胃熱ナルヿ疑ナシ。
又云、其
潮トハ、潮水ノ方ニ来ル時、海ニ浜スル処ノ小渠マデ、咸ク満渋セザルヿナシ。
其熱腸胃ニ突満シテ、其余勢ノ滔漫、水液ヲ推出シテ、胃外ヨリ肌表ニ至ルマデ、満渋セシムルナリ。
然ルニ説者、然ル所以ヲ推究メズシテ、潮水ノ時ヲ定メテ来ル如キ熱ナリトス。
又或説ニ一身ニ満渋スルノ熱トス、又午後ヨリ暮夜ニ出ルノ熱トス。
皆潮ノ字ヲ以テ、熱一偏ノ形容ニ取テ、水液ヲ上攻外迫セシムルニ、眼ヲ着ズ。
其言ヲ聞、其文ヲ見ル或ハ、発熱身熱灼熱悪熱等ノ弁別アルニ似タレドモ、コレヲ実病ニ徴スルトキハ、糢糊トシテ適拠ナシ。
何ントナレバ、発熱身熱灼熱悪熱モ、亦時ニ来リ、時ニ去リ、皆一身ニ満テ来ル、何ノ弁別アリテカ、コレヲ実病ニ徴センヤ。
故ニ間々上迫ノ水液主トナリテ、胃熱客トナルノ潮熱アリ。
コレ熱ノミヲ以テ、コノ潮熱ヲ解スベカラズ。
陽明篇ニ云、陽明病、発潮熱、大便溏、小便自可、胸脇満不去者、小柴胡湯主之。
此ノ如キ潮熱、時ニ来ルノ熱トセンヤ、午後ヨリ暮夜ニ発スルノ熱トセンカ。
此症陽明胃中ノ熱、水液ヲ胸脇ニ推出テ、其熱水液ト俱ニ、位ヲ胸脇ニ転ズル者ナリ。
故ニ腸胃以下、和シテ病熱ナシ、故ニ大便溏、小便自可ト云フ。
是ニ由テコレヲ観レバ、潮熱ハ、水液ヲ推出シテ、上攻外迫セシムルノ、胃熱ナルヿ疑ナシ。
又云、其
原本画像(巻二・37丁 「診察法(腹診)」)
③ 日本語訳(現代語訳)
〔前頁から続く〕そうでなければ、医者として本来望むところを尽くしたとは言えない。
声の澄み具合や濁り具合、咳やえずきの様子、においがさまざまに変化することなども、どれもよくよく注意を払わなければ、その良し悪しを見分けることは難しい。
医学を学ぶ者は、この点に努めて取り組みなさい。
腹候弁(腹部の診察についての論)
そもそも腹部の診察は、脈をとる切診の一種であって、望・聞・問・切の四診のなかでも要となるものである。だから、くわしく見きわめないわけにはいかない。
これはただ腹だけを診るのではない。胸・背・腰・すね・手足にいたるまで、丁寧に手で押したり撫でたりして、その肉づきの厚さ薄さ・硬さ柔らかさを観察し、皮膚の色のかさつき具合やつや、その良し悪しを見て、それによって陰陽と虚実を見定めるのである。
医者は病人に向かい合い、まず脈をとり、顔色や舌のこけ(舌苔)を見、声を聞き、どこが苦しいのかを尋ねる。そのうえで病人の左側に座り、はじめに自分の右手で胸の中央あたりを左右に押し分け、続いて病人の左の肋骨のあたりを撫で押し、乳のすぐ上から脇腹の下のほうにいたるまで、部位ごとに手のひらでていねいに診ていく。そしてまず虚里の拍動を確かめ、その拍動の高い低い・弱い強い・浅い深いによって、気・血・水のどれが主でどれが従か、また陰陽・虚実を見分けるのである。
右側についても、同じように準じて診ていくとよい。
左右の胸と肋骨のあたりを診おえたら、今度は指先をみぞおちに移し、軽く胸の中央を数回押し下げて、みぞおちが硬いか柔らかいかを確かめる。次に指を左右に開いて両脇を押し下げ、みぞおちの骨(岐骨)から斜めに肋骨にそって指をすべらせ、左右・上下のひきつれ(拘急)、つかえや硬さ・柔らかさ・強弱、皮膚と肉づきの厚さ薄さ、傷あとの有無などを診る。さらに指をみぞおちに戻し、正中線(任脈)の両わきを押し下げ、押しては下げ、下げては押しして、へその中央とその両わきまで診ていく。
そこで気持ちを静かに集中させて、へその下にある腎間の拍動(生命力のあらわれとされる動き)を確かめる。
さらに手のひらで左右の両脇を押し、背中のほうから抱えるように……〔次頁へ続く〕
声の澄み具合や濁り具合、咳やえずきの様子、においがさまざまに変化することなども、どれもよくよく注意を払わなければ、その良し悪しを見分けることは難しい。
医学を学ぶ者は、この点に努めて取り組みなさい。
腹候弁(腹部の診察についての論)
そもそも腹部の診察は、脈をとる切診の一種であって、望・聞・問・切の四診のなかでも要となるものである。だから、くわしく見きわめないわけにはいかない。
これはただ腹だけを診るのではない。胸・背・腰・すね・手足にいたるまで、丁寧に手で押したり撫でたりして、その肉づきの厚さ薄さ・硬さ柔らかさを観察し、皮膚の色のかさつき具合やつや、その良し悪しを見て、それによって陰陽と虚実を見定めるのである。
医者は病人に向かい合い、まず脈をとり、顔色や舌のこけ(舌苔)を見、声を聞き、どこが苦しいのかを尋ねる。そのうえで病人の左側に座り、はじめに自分の右手で胸の中央あたりを左右に押し分け、続いて病人の左の肋骨のあたりを撫で押し、乳のすぐ上から脇腹の下のほうにいたるまで、部位ごとに手のひらでていねいに診ていく。そしてまず虚里の拍動を確かめ、その拍動の高い低い・弱い強い・浅い深いによって、気・血・水のどれが主でどれが従か、また陰陽・虚実を見分けるのである。
右側についても、同じように準じて診ていくとよい。
左右の胸と肋骨のあたりを診おえたら、今度は指先をみぞおちに移し、軽く胸の中央を数回押し下げて、みぞおちが硬いか柔らかいかを確かめる。次に指を左右に開いて両脇を押し下げ、みぞおちの骨(岐骨)から斜めに肋骨にそって指をすべらせ、左右・上下のひきつれ(拘急)、つかえや硬さ・柔らかさ・強弱、皮膚と肉づきの厚さ薄さ、傷あとの有無などを診る。さらに指をみぞおちに戻し、正中線(任脈)の両わきを押し下げ、押しては下げ、下げては押しして、へその中央とその両わきまで診ていく。
そこで気持ちを静かに集中させて、へその下にある腎間の拍動(生命力のあらわれとされる動き)を確かめる。
さらに手のひらで左右の両脇を押し、背中のほうから抱えるように……〔次頁へ続く〕
② 書き下し文(ルビ付)
……ずんば、医の本懐とは言ひ難し。
声音の清濁咳哇、臭気の種々に変ずる等も、皆能く心を用ゐるにあらずんば、善悪は診し得難し。
学者これを勉めよ。
腹候弁
夫れ腹候は、切脉の一にして、四診の要なり、詳らかに弁ぜずんばあるべからず。
これただ腹を候ふのみにあらず、胸背腰脛手足に至るまで、切にこれを按撫して、其の肉の厚薄堅軟を視察し、其の色の枯沢善悪を望察して、以て陰陽虚実を診定するなり。
医者病人に対し、先づ脈を診し、顔色舌胎を望み、其の声音を聞き、其の苦悩する所を問ひ、而して後に病人の左に坐し、先づ医の右手を以て、心胸の間を左右に按し分け、而して後病人の左肋を按撫し、乳上より季脇に至るまで、其の部位ごとに、手掌を以てこれを診察し、先づ虚里の動気を候ひ、其の高低微甚沈浮に因りて、気血水の主客、陰陽虚実を弁別するなり。
右も亦たこれに準じて候ふべし。
既に左右の胸肋を候ひ了りて、再び指頭を心下に転じ、軽々に胸の中央を按下すること数回、心下の鞭濡を候ひ、指を左右に開き、両脇を按下し、岐骨より斜に骨に従ふて指を下し、以て其の左右上下の拘急、痞鞭濡堅強弱、皮肉の厚薄、繊痕の有無等を診し、又指を心下に転じ、任脉の両傍を按下し、按して下し、下して按し、以て臍中并びに其の両傍に至る。
是に於いて心を潜めて、腎間の動気を候ふ。
又た手掌を以て、左右の両脇を推し、背部より擁……
声音の清濁咳哇、臭気の種々に変ずる等も、皆能く心を用ゐるにあらずんば、善悪は診し得難し。
学者これを勉めよ。
腹候弁
夫れ腹候は、切脉の一にして、四診の要なり、詳らかに弁ぜずんばあるべからず。
これただ腹を候ふのみにあらず、胸背腰脛手足に至るまで、切にこれを按撫して、其の肉の厚薄堅軟を視察し、其の色の枯沢善悪を望察して、以て陰陽虚実を診定するなり。
医者病人に対し、先づ脈を診し、顔色舌胎を望み、其の声音を聞き、其の苦悩する所を問ひ、而して後に病人の左に坐し、先づ医の右手を以て、心胸の間を左右に按し分け、而して後病人の左肋を按撫し、乳上より季脇に至るまで、其の部位ごとに、手掌を以てこれを診察し、先づ虚里の動気を候ひ、其の高低微甚沈浮に因りて、気血水の主客、陰陽虚実を弁別するなり。
右も亦たこれに準じて候ふべし。
既に左右の胸肋を候ひ了りて、再び指頭を心下に転じ、軽々に胸の中央を按下すること数回、心下の鞭濡を候ひ、指を左右に開き、両脇を按下し、岐骨より斜に骨に従ふて指を下し、以て其の左右上下の拘急、痞鞭濡堅強弱、皮肉の厚薄、繊痕の有無等を診し、又指を心下に転じ、任脉の両傍を按下し、按して下し、下して按し、以て臍中并びに其の両傍に至る。
是に於いて心を潜めて、腎間の動気を候ふ。
又た手掌を以て、左右の両脇を推し、背部より擁……
① 原文(翻刻)
……ンバ、医ノ本懐トハ言ヒ難シ。
声音ノ清濁咳哇、臭気ノ種々ニ変ズル等モ、皆能ク心ヲ用ユルニアラズンバ、善悪ハ診シ得難シ。
学者コレヲ勉ヨ。
腹候弁
夫腹候ハ、切脉ノ一ニシテ、四診ノ要ナリ、詳ニ弁ゼスンバアルベカラズ。
コレタヾ腹ヲ候フノミニアラズ、胸背腰脛手足ニ至ルマデ、切ニコレヲ按撫シテ、其肉ノ厚薄堅軟ヲ視察シ、其色ノ枯沢善悪ヲ望察シテ、以テ陰陽虚実ヲ診定スルナリ。
医者病人ニ対シ、先脈ヲ診シ、顔色舌胎ヲ望ミ、其声音ヲ聞キ、其苦悩スル所ヲ問ヒ、而後ニ病人ノ左ニ坐シ、先医ノ右手ヲ以テ、心胸ノ間ヲ左右ニ按シ分ケ、而後病人ノ左肋ヲ按撫シ、乳上ヨリ季脇ニ至ルマデ、其部位ゴトニ、手掌ヲ以テコレヲ診察シ、先ツ虚里ノ動気ヲ候ヒ、其高低微甚沈浮ニ因テ、気血水ノ主客、陰陽虚実ヲ弁別スルナリ。
右モ亦コレニ準ジテ候フベシ。
既ニ左右ノ胸肋ヲ候ヒ了リテ、再ヒ指頭ヲ心下ニ転ジ、軽々ニ胸ノ中央ヲ按下スルヿ数回、心下ノ鞭濡ヲ候ヒ、指ヲ左右ニ開キ、両脇ヲ按下シ、岐骨ヨリ斜ニ骨ニ従フテ指ヲ下シ、以テ其左右上下ノ拘急、痞鞭濡堅強弱、皮肉ノ厚薄、繊痕ノ有無等ヲ診シ、又指ヲ心下ニ転ジ、任脉ノ両傍ヲ按下シ、按シテ下シ、下シテ按シ、以テ臍中并ニ其両傍ニ至ル。
是ニ於テ心ヲ潜メテ、腎間ノ動気ヲ候フ。
又手掌ヲ以テ、左右ノ両脇ヲ推シ、背部ヨリ擁……
声音ノ清濁咳哇、臭気ノ種々ニ変ズル等モ、皆能ク心ヲ用ユルニアラズンバ、善悪ハ診シ得難シ。
学者コレヲ勉ヨ。
腹候弁
夫腹候ハ、切脉ノ一ニシテ、四診ノ要ナリ、詳ニ弁ゼスンバアルベカラズ。
コレタヾ腹ヲ候フノミニアラズ、胸背腰脛手足ニ至ルマデ、切ニコレヲ按撫シテ、其肉ノ厚薄堅軟ヲ視察シ、其色ノ枯沢善悪ヲ望察シテ、以テ陰陽虚実ヲ診定スルナリ。
医者病人ニ対シ、先脈ヲ診シ、顔色舌胎ヲ望ミ、其声音ヲ聞キ、其苦悩スル所ヲ問ヒ、而後ニ病人ノ左ニ坐シ、先医ノ右手ヲ以テ、心胸ノ間ヲ左右ニ按シ分ケ、而後病人ノ左肋ヲ按撫シ、乳上ヨリ季脇ニ至ルマデ、其部位ゴトニ、手掌ヲ以テコレヲ診察シ、先ツ虚里ノ動気ヲ候ヒ、其高低微甚沈浮ニ因テ、気血水ノ主客、陰陽虚実ヲ弁別スルナリ。
右モ亦コレニ準ジテ候フベシ。
既ニ左右ノ胸肋ヲ候ヒ了リテ、再ヒ指頭ヲ心下ニ転ジ、軽々ニ胸ノ中央ヲ按下スルヿ数回、心下ノ鞭濡ヲ候ヒ、指ヲ左右ニ開キ、両脇ヲ按下シ、岐骨ヨリ斜ニ骨ニ従フテ指ヲ下シ、以テ其左右上下ノ拘急、痞鞭濡堅強弱、皮肉ノ厚薄、繊痕ノ有無等ヲ診シ、又指ヲ心下ニ転ジ、任脉ノ両傍ヲ按下シ、按シテ下シ、下シテ按シ、以テ臍中并ニ其両傍ニ至ル。
是ニ於テ心ヲ潜メテ、腎間ノ動気ヲ候フ。
又手掌ヲ以テ、左右ノ両脇ヲ推シ、背部ヨリ擁……
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