十二經皆有動脈、獨取寸口、以決五藏六府死生吉凶之法、何謂也。然、寸口者、脈之大會、手太陰之脈動也。人一呼脈行三寸、一吸脈行三寸、呼吸定息脈行六寸。人一日一夜、凡一萬三千五百息、脈行五十度周於身。漏水下百刻、營衞行陽二十五度、行陰亦二十五度、爲一周也。故五十度復會於手太陰寸口者、五藏六府之所終始、故法取於寸口也。
十二経は皆な動脈有るに、独り寸口を取り、以て五臓六腑の死生吉凶を決するの法とは、何の謂ぞや。
然り、寸口とは、脈の大会にして、手の太陰の脈の動なり。
人一たび呼すれば脈行くこと三寸、一たび吸すれば脈行くこと三寸、呼吸定息すれば脈行くこと六寸。人一日一夜に、凡そ一万三千五百息、脈行くこと五十度、身を周る。漏水下ること百刻、営衛は陽を行くこと二十五度、陰を行くこともまた二十五度、以て一周と為すなり。故に五十度にして復た手の太陰寸口に会するは、五臓六腑の終始する所、故に法は寸口に取るなり。
全身の十二の経絡には、どこにも脈の打つ場所があります。それなのに、なぜ手首の「寸口」ただ一箇所だけを取って、五臓六腑の生死や吉凶を判断するのでしょうか。
——答えます。寸口は全身の脈気が大きく集まる場所であり、手の太陰肺経が拍動する部位だからです。
人は一息(吐く)ごとに脈が三寸進み、一息(吸う)ごとに三寸進み、ひと呼吸で六寸進みます。一昼夜のあいだに約一万三千五百回呼吸し、脈は全身を五十周します。水時計が百刻を刻むあいだに、栄衛の気は昼(陽)を二十五周、夜(陰)を二十五周めぐって一巡し、五十周してふたたび手の太陰寸口に戻ってきます。寸口は五臓六腑の気が終わり、また始まる場所ですから、診察の基準をここに取るのです。
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出典:難経達言(版本 rb00019982)
寸口、魚後一寸太淵之分、合兩手而言之、左右俱爲一診。……諸經皆不恒見、獨太陰爲之動、以脈會於太淵。蓋越人解夫聖人之所以立寸口而知病、則因有此理以彰厥義。而千載之人惑于斯言、而謂寸口之診自越人始、何癡之癡、妄之妄哉。遂至兩手之爲六脈、左右各殊、其診訂之謬者、見二之章。
寸口は、魚後一寸太淵の分、両手を合わせてこれを言う、左右俱に一診と為す。……諸経は皆な恒には見れず、独り太陰これが動を為し、脈太淵に会するを以てなり。蓋し越人は夫の聖人の寸口を立てて病を知る所以を解し、則ち此の理有るに因りて厥の義を彰らかにす。而るに千載の人斯の言に惑い、寸口の診は越人より始まると謂うは、何ぞ癡の癡、妄の妄なるや。遂に両手の六脈と為り、左右各おの殊なるに至る、其の診これを訂すの謬りは、二の章に見ゆ。
寸口とは、魚際の後ろ一寸の太淵のあたりで、左右両手を合わせて一つの診とする(左右を別々の臓腑に配当しない)。……他の経の脈はいつも触れられるわけではなく、ただ手太陰の脈だけが常に動き、脈が太淵に集まるからこそ寸口を取る。越人は、聖人が寸口を立てて病を知った理由をこう解き明かしたのだ。それなのに千年ののちの人々はこの言葉を誤解し、「寸口の脈診は越人が始めた」などと言う。なんと愚かで妄りなことか。ついには両手を六つの脈に分け、左右で診方を変えるに至った。その診法の誤りは第二難で正す。
寸口一部診の正統を熱烈に擁護し、寸口を「左右両手合わせて一診」と定義して、後世の左右六部診や寸口診を越人の創始とする説を痛烈に批判する論争的注釈。(rb00004588・rb00004589も同一著作の異版で、より完全な本文を伝える)
出典:難経発揮(版本 rb00004591)
一難曰、十二經皆有動脈、獨取寸口、以決五藏六府死生吉凶之法、何謂也。然、寸口者、脈之大會、手大陰之脈動也。……
一難に曰く、十二経は皆な動脈有るに、独り寸口を取り、以て五臓六腑の死生吉凶を決するの法とは、何の謂ぞや。然り、寸口とは、脈の大会にして、手の大(太)陰の脈の動なり。……
(本文をほぼそのまま掲げ、簡潔に注する。)第一難にいう、全身の十二経にはどこにも脈所があるのに、なぜ寸口だけを取るのか。答える、寸口は脈の大会であり、手太陰の脈の拍動部だからである。
本文を忠実に掲げ簡潔に発揮する版。用字で「太陰」を「大陰」、「太過」を「大過」と作り(太→大の省画)、本義系との版別の目印になる。
出典:難経疏証(版本 rb00004587・丹波元胤)
詳玩其文、語氣稍弱、全類東京。……若元氣之稱、始見於董仲舒春秋繁露、楊雄解嘲、而至東漢比比稱之。……其決非出西京人手、可以見矣。
詳らかに其の文を玩味するに、語気やや弱く、全く東京(後漢)に類す。……元気の称の若きは、始めて董仲舒の春秋繁露・楊雄の解嘲に見え、而して東漢に至りて比比としてこれを称す。……其れ決して西京(前漢)の人の手に出でざること、以て見るべし。
文章をよく味わってみると、言葉づかいがやや弱く、まったく後漢の文体に似ている。……たとえば「元気」という語は董仲舒『春秋繁露』や楊雄『解嘲』に初めて現れ、後漢になって盛んに用いられるようになった。……この書が決して前漢の人の手によるものではないことが、これで分かる。
第一難で医学に踏み込まず、語彙・文体から成立年代(後漢以前)を割り出す江戸考証学(多紀家医学)の精華。文献批判の起点として読む。
出典:難経本義(滑寿・底本)(版本 rb00004596・滑寿)
十二經、謂手足三陰三陽合十二經也。……謂之經者、以榮衞之流行經常不息者而言。謂之脈者、以血理之分袤行體者而言。故經者徑也、脈者陌也。……寸口、肺朝百脈、脈之大會、開卷第一義也。
十二経とは、手足の三陰三陽合わせて十二経を謂うなり。……これを経と謂うは、栄衛の流行して経常息まざる者を以て言う。これを脈と謂うは、血理の分かれて体に袤行する者を以て言う。故に経とは径なり、脈とは陌なり。……寸口は、肺百脈を朝し、脈の大会、開巻第一義なり。
十二経とは手足の三陰三陽を合わせた十二の経絡である。……「経」とは、栄衛が常に流れて絶えないことをいい、「脈」とは血が分かれて全身を横に走ることをいう。だから経は「たて道(径)」、脈は「よこ道(陌)」である。……寸口に全身の脈が朝会するのは、この書の巻頭第一の要義である。
底本。滑寿は語義(経=径/脈=陌)を精密に分け、肺朝百脈を根拠に寸口大会を「開巻第一義」と位置づける。凡例・闕誤總類による批判校訂を備える。
出典:醫學統宗難經本義補遺(版本 rb00020118)
一難至二十一難、皆言脈。……滑氏曰、皆有動脈者、如手太陰脈動中府雲門天府俠白、手陽明脈動合谷陽谿……足少陰脈動大谿陰谷……之類也。
一難より二十一難に至るは、皆な脈を言う。……滑氏曰く、皆な動脈有りとは、手太陰の脈は中府・雲門・天府・俠白に動き、手陽明の脈は合谷・陽谿に動き……足少陰の脈は大谿・陰谷に動く……の類なり。
第一難から第二十一難まではすべて脈について論じる。……滑寿はいう、「どの経にも脈所がある」とは、手太陰肺経なら中府・雲門・天府・俠白、手陽明大腸経なら合谷・陽谿……足少陰腎経なら太谿・陰谷……に脈が打つ、という意味である。
滑寿注を承けつつ「一難至二十一難皆言脈」と篇群の構造を明示し、十二経の動脈穴と内経三部九候との対照を丁寧に付す。
出典:難経本義(一陽子補註)(版本 rb00013401)
外藏氣又有五穴。金肺尺澤、相火天府、木肝太冲、水腎太谿、火心神門、土脾衝陽。藏氣先時取化源、又有五穴。
蔵気を外にするに又た五穴有り。金の肺は尺沢、相火は天府、木の肝は太衝、水の腎は太谿、火の心は神門、土の脾は衝陽。蔵気は時に先んじて化源を取るに、又た五穴有り。
臓の気を外に取る要穴として、さらに五つのツボがある。金=肺は尺沢、相火は天府、木=肝は太衝、水=腎は太谿、火=心は神門、土=脾は衝陽である。臓気を病に先んじて(予防的に)その化生の源から取るための五穴も別にある。
十二経の動脈を列挙するにとどまらず、五行に配当した治療用の要穴(配穴)まで展開する。第一難を配穴=治療設計の起点として読む。
出典:難経註疏(版本 rb00000698)
譬之天子事四方、國都人民之安危存亡、皆來告於朝廷、遠不勞於殊方、近知於王國。十二經疾病死生、猶如諸國安危存亡、寸口猶如朝廷也。
これを天子の四方を事とするに譬うるに、国都・人民の安危存亡、皆な来たりて朝廷に告げ、遠くは殊方に労せず、近くは王国に知る。十二経の疾病死生は、猶お諸国の安危存亡のごとく、寸口は猶お朝廷のごとし。
たとえば天子が四方を治めるとき、諸国や人民の安危存亡はすべて朝廷に報告され、遠国までわざわざ出向かなくても、王都にいながらにして知ることができる。十二経の病や生死は諸国の安危にあたり、寸口はその報告の集まる朝廷にあたる。
寸口が全身の情報の集まる一点であることを「朝廷」の比喩で鮮やかに説明する。滑寿・陶九成・説文・釈名を博引し、寸口が両寸か尺を兼ねるかの或問も付す。
出典:難経蒼璧(版本 rb00004586・柳寛)
越人取法於地道、統要於三焦。……所謂一萬三千五百息、八百一十丈而五十度周於身者、數之極也。立極而後設教耳。
越人は法を地道に取り、要を三焦に統ぶ。……所謂る一万三千五百息、八百一十丈にして五十度身を周る者は、数の極なり。極を立てて而る後に教を設くるのみ。
越人は大地の理にのっとり、その要を三焦にまとめた。……いわゆる一万三千五百呼吸・八百十丈で全身を五十周するというのは、数の究極である。まず究極の基準を立て、そのうえで教えを説いたのだ。
第一難の数を単なる生理データでなく、三焦・原気論と「立極而後設教(究極の基準を立てて教えを説く)」という思想的営みとして読む哲学的注釈。
出典:難経評林(版本 rb00004592)
人之臟府氣血筋脈骨髓皆有所會、名曰八會、而脈之大會在於大淵、乃手太陰之脈於斯而動焉、則診之也宜矣。(脈経営衛周天度數之圖を付す)
人の臓腑・気血・筋脈・骨髄は皆な会する所有り、名づけて八会と曰う。而して脈の大会は大淵に在り、乃ち手太陰の脈斯に於て動く、則ちこれを診するや宜なり。
人体の臓腑・気血・筋脈・骨髄には、それぞれ気の集まる場所があり、これを「八会」という。そのうち脈の大会は太淵にあり、手太陰の脈がここで拍動するのだから、ここを診るのは理にかなっている。(脈の運行と天体の度数を対応させた「周天度数の図」を掲げる。)
王氏の頭注評林形式。八会説を引き、岐伯の食気入胃の一節や素問「気口成寸」を引用し、脈行と天体の度数を図で示す。
出典:黄帝八十一難経輯釋備考(版本 rb00002419・清川靄墩)
中府、一寸雲門下一寸乳上三肋間陷者中、動脈應手、仰而取之、肺募。……徐云、素問三部九候論、明以頭面諸動脈爲上三部。
中府は、一寸雲門の下一寸・乳の上三肋間の陥る者の中、動脈手に応ず、仰ぎてこれを取る、肺の募なり。……徐(大椿)云う、素問三部九候論は、明らかに頭面の諸動脈を以て上三部と為す、と。
中府というツボは、雲門の下一寸・乳の上、三本の肋骨のあいだのくぼんだ所にあり、脈が指に応じ、仰向けで取る、肺の募穴である。……徐大椿はいう、『素問』三部九候論は明らかに頭や顔の諸動脈を上の三部としている、と。
諸家の説を集成した考証的注釈。各動脈穴に精密な寸法定位を付し、段玉裁・程瑤田ら清朝考証学まで動員して度量衡を論じる。
出典:難経経釈(版本 rb00004583・徐大椿)
動脈、脈之動見於外、如手太陰天府雲門之類、按之其動亦應手是也。……惟靈樞動輸篇……蓋指太陰之經渠、少陰之太谿、陽明之人迎、則可稱動脈者惟此三穴、其餘不過因其微動、俱不得稱動脈也。
動脈とは、脈の動の外に見るる、手太陰の天府・雲門の類の如し、これを按ずるに其の動も亦た手に応ずる是なり。……惟だ霊枢動輸篇……蓋し太陰の経渠、少陰の太谿、陽明の人迎を指す、則ち動脈と称すべき者は惟だ此の三穴のみ、其の余は其の微動に因るに過ぎず、俱に動脈と称するを得ざるなり。
「動脈」とは、外から触れて分かる脈の拍動で、手太陰の天府・雲門などがそれで、押さえると指に拍動が応じる。……ただし『霊枢』動輸篇が言うのは、太陰の経渠・少陰の太谿・陽明の人迎であって、本当に「動脈」と呼べるのはこの三穴だけであり、他は微かに動くにすぎず、動脈とは呼べない。
徐大椿は難経が内経の三部九候から離れた点を鋭く指摘しつつ、本当の動脈は経渠・太谿・人迎の三穴のみと峻別する。総類で「八十一=九九=黄鐘の数」の由来も説く。
出典:難経古義(版本 rb00004585・滕万卿)
此難所言、獨主胃氣。蓋水穀入口則脈道以通、無病則沖和之氣自見、若有病則隨其邪之淺深各爲脈變。……靈樞云命門目也、難經以爲右腎。素問云三部者頭及手足、難經以爲寸關尺浮中沈。
此の難の言う所、独り胃気を主る。蓋し水穀口に入れば則ち脈道以て通じ、病無ければ則ち沖和の気自ら見れ、若し病有れば則ち其の邪の浅深に随いて各おの脈変を為す。……霊枢は命門を目なりと云うも、難経は以て右腎と為す。素問は三部とは頭及び手足と云うも、難経は以て寸関尺・浮中沈と為す。
この第一難がいうのは、もっぱら胃気を候うことである。飲食物が口に入れば脈の道が通じ、病がなければ調和した気がおのずと現れ、病があれば邪の浅い深いに応じて脈が変化する。……『霊枢』は「命門は目」と言うが、難経は「右の腎」とする。『素問』は「三部とは頭・手・足」と言うが、難経は「寸関尺・浮中沈」とする。
寸口診の本質を「胃気の候」と捉える。さらに難経が内経と食い違う点(命門・三部九候)を具体的に並べ、難経の独自性を差分として明示する。
出典:難経或問(版本 rb00004599)
一難之寸口者、不偏陽不倚陰、即候人身中和元氣之處、而未初分於尺寸陰陽。故此言寸口者、統於寸尺之通名。
一難の寸口とは、陽に偏らず陰に倚らず、即ち人身中和の元気を候う処にして、未だ初めより尺寸陰陽に分かれず。故に此に言う寸口とは、寸尺を統ぶるの通名なり。
第一難でいう「寸口」とは、陽にも陰にも偏らず、人体の調和した元気をうかがう場所であって、まだ尺・寸(陰・陽)に分かれる前のものである。だからここでの「寸口」は、寸と尺を合わせて総称する呼び名なのだ。
問答形式で「寸口=右手の一部」という狭い解釈を退け、尺寸に分かれる前の「元気を候う統一体としての寸口」と結論する弁証的注釈。
出典:難経文字攷(版本 rb00004598)
一難曰、寸口者脈之大會。謹按、大字訓徧、則脈之大會、猶言脈之總會也。經脈別論曰、肺朝百脈、卽其意也。禮記郊特牲曰、大報天而主日也、鄭注云、大猶徧也。
一難に曰く、寸口とは脈の大会なり。謹んで按ずるに、大の字は徧と訓ず、則ち脈の大会とは、猶お脈の総会と言うがごとし。経脈別論に曰く、肺は百脈を朝すと、即ち其の意なり。礼記郊特牲に曰く、大いに天に報いて日を主とすと、鄭注に云う、大は猶お徧のごとし、と。
第一難にいう「寸口は脈の大会」について、謹んで考えるに、「大」の字は「あまねし(徧)」と読むべきで、「脈の大会」とは「脈がことごとく集まる所」という意味である。『素問』経脈別論の「肺は百脈を朝す」がその意である。『礼記』郊特牲の「大いに天に報いる」に鄭玄は「大はあまねしの意」と注している。
純粋な用字考証。「大会」の「大」を「徧(あまねし)」と訓む根拠を経書の注釈から引き、字義から本文を正す。
出典:難経考(由頤先生)(版本 rb00004584)
一息脈行六寸。十息脈一丈二尺。……二百七十息脈十六丈二尺。……本義曰、每時八刻脈行六十四丈八尺者此之謂也。……刻之餘分得五百四十息、合一萬三千五百息也。合之脈得八百一十丈也。
一息に脈行くこと六寸。十息に脈一丈二尺。……二百七十息に脈十六丈二尺。……本義に曰く、時毎に八刻、脈行くこと六十四丈八尺とは此の謂なり。……刻の余分五百四十息を得て、合わせて一万三千五百息なり。之を合わせて脈八百一十丈を得るなり。
ひと呼吸で脈は六寸進む。十呼吸で一丈二尺。……二百七十呼吸で十六丈二尺(=全身一周)。……本義に「一時(二時間)ごとに八刻、脈は六十四丈八尺進む」とあるのはこのことだ。……端数の五百四十呼吸を足して合計一万三千五百呼吸、脈の総距離は八百十丈になる。
第一難の脈行の数値を、著者自ら「計算が分からないので図にした」と断りつつ、一段ずつ表に積み上げて八百十丈・五十周を導く、数理に徹した稀有の版。
出典:難経雲庵抄(版本 rb00004579)
●一笑曰、今問也。○然、答辭也。○経、徑也。(以下、和訓を交えた講義体の抄物)
●一笑に曰く、今は問なり。○然は、答辞なり。○経は、径なり。
(第一難の講義ノート。)第一難は問いを立てる部分である。「然」は答えの言葉である。「経」とは「たて道(径)」の意である。……(訓点と仮名を交えて逐語的に講じる。)
日本語の訓読・仮名を交えた講義体の抄物。学生に向けて逐語的に噛み砕く教育的な性格。判読難の頁が多い(□率が全版で最高)。
出典:仮名難経(版本 rb00001652)
(第一難に相当する箇所は難経本文の注釈ではなく、仮名による医論。真医と偽医の別を説く。)
(未)
(本書の「一難」は難経本文の逐語注ではなく、八十一難の枠組みを借りた仮名まじりの医論である。第二難以降で、脈の術語を書き散らして人を欺く偽医への批判を展開する。)第一難にあたる部分は、真の医と偽りの医をどう見分けるかという主題を、平易な仮名文で説き起こす。
厳密には難経の注釈ではなく、八十一難の器を借りた仮名の医論・医療倫理書。「三十六冊すべてが難経の注釈」ではないことを示す実例。
出典:難経本義 凡例・闕誤總類(版本 rb00004577・rb00022829・滑寿)
一、難經正文、周仲立・李子埜輩擅加筆削、今並不從。一、經中錯簡衍文、辨見各篇之下、仍爲闕誤總類、以見其槩。〔闕誤總類〕七難、三陰三陽次第、與脈經此不同。十二難、馮氏謂此篇合入用針補瀉之類、當在六十難之後。二十難、重陽者狂、重陰者癲……當是五十九難結句之文、錯簡在此。
一、難経の正文、周仲立・李子埜の輩、擅(ほしいまま)に筆削を加う、今並びに従わず。
一、経中の錯簡・衍文、弁は各篇の下に見ゆ、仍りて闕誤總類と為して、以て其の概を見(しめ)す。
〔闕誤總類〕七難、三陰三陽の次第、脈経と此れ同じからず。十二難、馮氏、此の篇は用針補瀉の類に入るべく、当に六十難の後に在るべしと謂う。二十難、「重陽は狂、重陰は癲」……当に是れ五十九難の結句の文、錯簡して此に在るべし。
一、難経の本文には、周仲立や李子埜らが勝手に字句を削り足した箇所があるが、この本義では一切従わない。
一、本文の錯簡(順序の乱れ)や衍文(余分な字)は各篇の注で指摘し、さらにそれを「闕誤總類」として一覧にまとめ、全体像を示す。
〔闕誤總類より〕第七難の三陰三陽の順序は『脈経』と食い違う。第十二難は本来、鍼の補瀉を説く第六十難の後に置くべきだと馮氏はいう。第二十難の「重陽は狂、重陰は癲」は、本来第五十九難の結びの文が錯簡でここに紛れ込んだものだ。
底本・難経本義の巻頭に置かれた凡例と校勘一覧「闕誤總類」。滑寿が難経本文の錯簡・衍文・他書との異同を篇ごとに摘出した批判校訂の設計図で、文献学の視点が「注釈というより批判校訂版」と評した実体。(rb00004577・rb00022829に所収)
出典:難経本義(諸序)(版本 rb00004595・滑寿)
望而知其病者謂之神、聞而知者謂之聖、問而知之謂之工、至於脈之淺深・呼吸至數、通後能療治者、得巧之道焉。神聖工詣、得見矣。……越人我師也、伯仁不爲我而刊諸梓、與天下之人共之、是則伯仁之心也。
望みて其の病を知る者、これを神と謂う。聞きて知る者、これを聖と謂う。問いて知るは、これを工と謂う。脈の浅深・呼吸至数に至りて、通じて後に能く療治する者は、巧の道を得たり。神聖工詣、見るべし。……越人は我が師なり。伯仁、我が為にせずして諸を梓に刊し、天下の人と之を共にす、是れ則ち伯仁の心なり。
見ただけで病を知るのを「神」、聞いて知るのを「聖」、問うて知るのを「工」といい、脈の深浅や呼吸の数まで通じてはじめて治療できるのが「巧」の道である。この神・聖・工・巧の境地がここに見てとれる。……越人はわが師である。滑寿(伯仁)は自分のためでなく、これを版木に刻んで天下の人と共有した。それが滑寿の志である。
本義の巻頭に付された揭傒斯・張翥・劉仁本らの序。難経を「万世の法」と讃え、望聞問切=神聖工巧の四診観(第六十一難に連なる)を早くも掲げ、滑寿の学統(東垣・李氏の学)を記す。底本本義の別版(rb00004595)が伝える序文群。
出典:難経滑義補正(版本 rb00004580・rb00004581)
一萬三千五百息。補、梅月堂集云、人之呼吸猶天地之呼吸也、冬至之後爲呼、夏至之後爲吸、此一年之呼吸也。……醫門丘坫集云、一者太極、是數之初也。……一三五合成九、是洛書之數也。
一万三千五百息。補(おぎな)う、梅月堂集に云う、人の呼吸は猶お天地の呼吸のごときなり、冬至の後を呼と為し、夏至の後を吸と為す、此れ一年の呼吸なり。……医門丘坫集に云う、一とは太極、是れ数の初めなり。……一・三・五、合して九と成る、是れ洛書の数なり。
「一万三千五百息」について補足する。『梅月堂集』にいう——人の呼吸は天地の呼吸と同じである。冬至より後を「呼(吐く)」、夏至より後を「吸(吸う)」とするのが一年の呼吸だ。……『医門丘坫集』にいう——「一」とは太極、数の始まりである。……一と三と五を合わせると九、これが洛書の数である。
別系統の注釈。滑寿の説を補正しつつ、脈の一万三千五百息を丹道の呼吸(人身=天地の呼吸)や洛書の数理(一三五=九)に接続する。理論・数理パネルが「数を宇宙論へ昇華する版」として重視した一本。(rb00004580・rb00004581は同一著作の別冊)
出典:難経篷菴抄(版本 rb00004594)
一難、經脈榮衞五十營度數。靈樞榮衞曰、周天二十八宿、每宿三十六分。……大行數周廻、成二百七十息、即氣行一十六丈二尺也、是則一度也。……榮衞五十宮、運送五藏六府、而成一萬三千五百息・八百一十丈。此二十七氣者、天有九宮・地有九品・人有九竅、三九即二十七。
一難、経脈・栄衛五十営の度数。霊樞栄衛に曰く、周天二十八宿、宿ごとに三十六分。……大いに行き数(しばしば)周廻して、二百七十息に成る、即ち気行くこと十六丈二尺なり、是れ則ち一度なり。……栄衛五十宮、五藏六府に運送して、一万三千五百息・八百一十丈に成る。此の二十七気は、天に九宮有り・地に九品有り・人に九竅有り、三九即ち二十七なり。
第一難の脈・栄衛の五十営の度数について。『霊樞』栄衛篇にいう、周天の二十八宿は各宿三十六分……大きくめぐって二百七十息になると脈は十六丈二尺進み、これで全身一周(一度)である。……栄衛が五臓六腑をめぐって五十営し、一万三千五百息・八百十丈になる。この二十七の気(十二経+十五絡)は、天に九宮・地に九品・人に九竅があり、三×九=二十七に対応する。
数理に徹した抄物。栄衛の運行を周天二十八宿・九宮の数に対応させ、子野先生図・道軒図の計算の誤りまで校訂する。理論・数理パネルの「数が身体と天地を架橋する」を最も濃厚に体現する版。
出典:難経本義大鈔(版本 rb00004597)
一、難經之由。……素問之名義。鑿度云、太素者質之始也、氣・形・質具而痾瘵由是萌生、故黃帝問此太素質之始也、素問之名義或出於此。……志曰、鍼經九卷、謂之九靈、王冰改名靈樞。
一、難経の由(よし)。……素問の名義。鑿度に云う、太素とは質の始めなり、気・形・質具(そな)わりて痾瘵(あさい)是に由りて萌生す、故に黄帝此の太素質の始めを問う、素問の名義或いは此に出づるか。……志に曰く、鍼経九巻、これを九霊と謂う、王冰改めて霊樞と名づく。
第一難の由来について。……「素問」という名の意味。『乾鑿度』にいう、「太素とは物質の始まりで、気・形・質が具わって病がここから生じる。だから黄帝はこの太素=物質の始まりを問うた」。「素問」の名はここから出たのだろう。……『隋書』経籍志に「鍼経九巻、これを九霊という。王冰が改めて霊樞と名づけた」とある。
本義への大部(二十巻)の講釈。第一難の一語ごとに、素問・霊樞の書名の起源や成立・語源を、経書・類書を博捜して注する書誌学的な大注釈。
出典:難経抄(勿聽子・宗立系)(版本 rb00008889・rb00019981・rb00019980・熊宗立)
第一難。邵庵虞先生嘗曰、史記不載越人著難經……古人因經設難、或與門人弟子答問、偶得此八十一章耳。……難經八十一篇、以九爲數、而九九重之各有八十一篇、老陽之數極於九。……凡讀書之法、釋氏專用吳音、儒生專用漢音、此延曆十七年桓武天皇御法式也。
第一難。邵庵虞先生嘗て曰く、史記は越人の難経を著すを載せず……古人経に因りて難を設け、或いは門人弟子と答問し、偶々此の八十一章を得るのみ。……難経八十一篇、九を以て数と為し、而して九九これを重ねて各々八十一篇有り、老陽の数は九に極まる。……凡そ書を読むの法、釈氏は専ら呉音を用い、儒生は専ら漢音を用う、此れ延暦十七年桓武天皇の御法式なり。
第一難について。邵庵虞先生(虞集)はかつていった、『史記』は越人が難経を著したと記していない……古人は経文に基づいて問い(難)を立て、あるいは門人弟子と問答して、たまたまこの八十一章を得たのだ。……難経八十一篇は「九」を数とし、九×九を重ねてそれぞれ八十一篇ある、老陽の数は九に極まるからだ。……およそ書物を読む法として、仏家はもっぱら呉音、儒者はもっぱら漢音を用いる。これは延暦十七年(798)桓武天皇の定めた法式である。
勿聽子(熊宗立)系の抄物。難経の成立を虞集・欧陽玄・楊玄操・紀天錫を博引して論じ、「九九八十一=老陽の数」の数理観(評林引用)を掲げ、さらに呉音・漢音の読誦法(桓武天皇御法式)など日本での受容・学統まで記す。理論パネルが「九=老陽の極数」の典拠とした版。(rb00008889・rb00019981・rb00019980に所収)
出典:難経註疏(三巻本)(版本 rb00004590)
一難曰、十二經皆有動脈……滑伯仁曰、十二經謂手足三陰三陽合爲十二經也。皆有動脈者、如手太陰脈動中府雲門天府俠白……足少陰脈動太谿陰谷之類也。……脈義、陶九成曰、人稟天地五行之氣以生……夫脈者血也、脈不自動、氣實使之、故有九候之法。
一難に曰く、十二経は皆な動脈有り……滑伯仁曰く、十二経とは手足の三陰三陽合わせて十二経と為すなり。皆な動脈有りとは、手太陰の脈は中府・雲門・天府・俠白に動き……足少陰の脈は太谿・陰谷に動くの類なり。……脈義、陶九成曰く、人は天地五行の気を稟けて以て生ず……夫れ脈とは血なり、脈は自ら動かず、気実にこれを使う、故に九候の法有り。
第一難にいう「十二経にはみな脈所がある」……滑寿はいう、十二経とは手足の三陰三陽を合わせた十二経である。「みな動脈がある」とは、手太陰肺経は中府・雲門・天府・俠白に脈が打ち……足少陰腎経は太谿・陰谷に打つ、といった類である。……脈の意義について陶九成はいう、人は天地五行の気を受けて生まれる……そもそも脈とは血であり、脈はひとりでには動かず、気が実際にこれを動かす。だから九候の診法がある。
滑寿注と陶九成の「脈義」を軸に、十二経の全動脈穴を列挙し、経=径・脈=陌の語義や『説文』『釈名』を引いて逐語的に疏証する詳注(三巻本)。既出の難経註疏(rb00000698・二巻本)と同系統の異版。
出典:難経韵語図解(版本 rb00004578)
一難、從叔和脈經。十上補夫字。周下補時字。法取作取法。
一難、叔和の脈経に従う。「十」の上に「夫」の字を補う。「周」の下に「時」の字を補う。「法取」を「取法」に作る。
第一難は王叔和『脈経』の本文に従う。「十二経…」の「十」の上に「夫」の字を補い、「周於身」の「周」の下に「時」の字を補い、「法取於寸口」を「取法於寸口」と改める。
難経本文を暗誦用の韻文に組み替えた「韵語図解」の校異注記。底本や脈経との異同(補字・語順)を簡潔に示す。文献学の視点が「本文を韻文に再編する版」として挙げた一本。
出典:難経管窺精義(版本 rb00004582)
一難、寸口、又氣口、又三部參、又一萬三千五百息。
一難、寸口、又た気口、又た三部参、又た一万三千五百息。
第一難——寸口、またの名を気口。さらに三部(寸関尺)を参照し、また一万三千五百息(の脈行)を説く。
別系統の注釈だが、当該版のOCRは第一難該当箇所が断片的(box率0.17)。寸口=気口の別名、三部、一万三千五百息という要点語のみが判読できる。全版を網羅する趣旨で、判読可能な範囲を掲げる。
三十の古版本を一つに読み合わせると、第一難は三つの顔を同時に持つ一章として立ち現れます。
第一に、診断法の憲法宣言として。『黄帝内経』は全身のあちこちを触れる煩雑な三部九候診を説きましたが、難経はそれを手首一箇所に大胆に縮約し、その正当化を巻頭に置きました。しかもその根拠を、寸口が全身の脈の集まる点だという空間的理由(肺朝百脈・脈会太淵)と、営衛が五十周して寸口に還るという時間的・循環的理由の両方から二重に支えます。この時空二重の基礎づけは第一難だけに見られる周到さです。
第二に、数によって身体と宇宙を結ぶ宣言として。脈行の「六寸・八百十丈・五十周」という数列は、九(老陽の極数)とその自乗である八十一(=黄鐘の数、書物の篇数)へと連なり、診断・生理・書物構成の三層を貫きます。『難経考』の算術表、『或問』の「二千七百息=八十一丈」、『経釈』の九九黄鐘説、『蒼璧』の「立極而後設教」を重ねて初めて、この数の骨格が一つに結像します。
第三に、本文批判の起点として。『疏証』の成立年代考証、『本義』の凡例・闕誤總類、達言三版の系統、太/大の用字分布——これらは、経文を無条件に信じず年代・異同・系統を検証する文献学の出発点が、ここに置かれていたことを示します。
すなわち第一難は、単なる「寸口を取る理由」ではなく、診断・数理・文献批判という三つの営みが交わる結節点であり、その三面はいずれか一つでは捉えきれません。本サイトが三十版と三つのAIの視点を並べる意義もここにあります。
第一難は「なぜ手首の寸口一箇所だけで全身を診るのか」を説く巻頭の一章だが、和刻諸版を突き合わせると、その読み方が医学解釈・本文批判・学派の自己主張の三層に分かれることが見えてくる。
まず成立論。『難経疏証』(版本 rb00004587、丹波元胤)は第一難で医学にほとんど触れず、もっぱら本文がいつ書かれたかを考証する。「語気やや弱く、全く後漢に類す(文体をよく吟味すると後漢の文章によく似ている)」と述べ、「元気」の語の初出(董仲舒)などを証拠に、前漢の人の手ではないと結論する。経文の権威を無条件に信じず、文体・語彙から年代を割り出す江戸考証学(多紀家医学)の姿勢がはっきり現れている。
次に校勘。『難経本義』系(rb00004596・rb00022829・rb00004577)は本文の前に凡例と闕誤總類を備え、「七難、三陰三陽の次第、脈経と食い違う」のように篇ごとの錯簡・衍文を滑寿があらかじめ一覧にしている。注釈というより批判校訂版である。
版本系統も見えてくる。『難経達言』は rb00019982・rb00004588・rb00004589 の三種があるが、いずれも「何ぞ癡の癡、妄の妄なるや」という特徴的な罵倒句まで一致しており、同一著作の異なる刊本と判断できる。用字も指標になり、『難経発揮』(rb00004591)は「太過」を「大過」と作る(太→大の省画)。
さらに記載方法そのものが学派を露呈する。『難経古義』(rb00004585)は正文を白字・釈義を黒字で分ける「白黒字分解」を採り、『難経韵語図解』(rb00004578)は本文を暗誦用の韻文に組み替える。逐句割注の疏証、論争の達言、校勘の本義——同じ第一難でも「何を・どう書くか」が流派の指紋になっている。
文献学的には、第一難は単なる診断論の冒頭ではなく、本文の年代・真偽・異同を検証し版の系統を判別する起点として機能していたと考えられる。
なぜ手首の寸口一部で全身を診断できるのか。臨床的な根拠は三つに集約される。第一に「肺朝百脈・脈会太淵」。肺が全身の気をつかさどり、すべての経脈の気が手太陰肺経の太淵に会するため、寸口は全身の縮図となる。『難経註疏』(rb00000698)はこれを「寸口は朝廷の如し。十二経の疾病死生は、諸国の安危が朝廷に告げられるように寸口に現れる」と比喩し、寸口診の意味を的確に言い当てている。第二に「胃気の候」。『難経古義』(rb00004585・滕万卿)は「此の難は独り胃気を主る。水穀口に入れば則ち脈道以て通ず」と述べ、寸口の脈状が後天の本である胃気(生命力)を映すことを強調する。無病なら沖和の気が現れ、病があれば邪の浅深に従って脈が変ずる——今日の脈診観そのものである。
配穴の面では、一陽子補註(rb00013401)が実践的で、十二経の動脈穴を列挙したうえ五行配当の要穴「金の肺は尺沢、木の肝は太衝、水の腎は太谿、火の心は神門、土の脾は衝陽」を挙げる。『輯釋備考』(rb00002419・清川靄墩)は「中府は雲門の下一寸、乳上三肋間の陥中」など各穴に精密な寸法定位を与え、そのまま取穴に使える。
ただし脈診点の峻別も重要で、徐大椿『経釈』(rb00004583)は「真に動脈と称すべきは経渠・太谿・人迎の三穴のみ」とし、腎の元気と胃の後天を足脈で確かめる姿勢を示す。両手三部(寸関尺)診の是非には論争があり、『難経達言』は三部両手診を越人以後の付会とみなし王叔和を痛罵する。
臨床的には、第一難の実地の要は寸口に映る胃気・神・根を読むことにあり、寸関尺の機械的配当や数理はあくまで枠組みにすぎない。重症例では太谿・衝陽・人迎の足頸部脈を併診し、年齢・体格で基準を補正する——この可変的で全体的な脈診態度こそ諸版を貫く臨床の知恵だと考えられる。
第一難は一見「なぜ寸口だけで診るか」という診断論だが、理論・数理の目で読むと「数によって身体と宇宙を一つの秩序に結ぶ」宣言として立ち現れる。
核心は脈行の数理である。一呼吸で脈は六寸、二百七十息で十六丈二尺すなわち全身一周、一昼夜一万三千五百息で五十周・八百十丈に達する。『難経考』(rb00004584)は「算を識らず、故に其の義を図す」と断りつつ一段ずつ積み上げてこの数を導き、『難経或問』(rb00004599)は脈行を左右に分けて精算し「二千七百息にして脈行八十一丈」と明記する。ここで脈の運行にも「八十一」が現れる点が決定的である。
なぜなら書物そのものが「八十一難」だからだ。『難経経釈』総類(rb00004583・徐大椿)は『素問』離合真邪論を引いて「九九八十一篇、以て黄鐘の数を起こす」と述べ、『難経抄』(rb00019981)は「老陽の数は九に極まり、九九これを重ねて八十一篇有り」と説く。「九」=老陽の極数、その自乗=八十一が、診断(脈周期)・生理(脈行距離)・書物構成(篇数)の三層を貫く。第二難でも「陽は寸内の九分を得る」と再び九が刻まれる。
この数理は単なる計算ではない。『難経蒼璧』(rb00004586・柳寛)は「越人は法を地道に取り、要を三焦に統ぶ。……数の極なり。極を立てて而る後に教を設くるのみ」と、脈行の数を三焦・原気の哲学へ昇華する。さらに『滑義補正』(rb00004580・4581)は一万三千五百息を丹道の呼吸(冬至の後を呼、夏至の後を吸)や洛書の数に接続する。
理論的・数理的には、第一難は脈という身体現象を「六寸・八百十丈・五十周・八十一」の数の体系に翻訳し、それを老陽(九)と黄鐘と三焦原気に結びつけることで、手首一箇所の拍動を全宇宙の秩序の縮図に仕立てた——数が身体と天地を同型に架橋する最初の一手がここに置かれていると解される。
三者の見立ては、次の一点で明確に割れる。理論・数理の視点は、脈行の数(五十周・八百十丈・八十一)を第一難の実質的な核心——身体を宇宙秩序に結ぶ本質——とみなす。これに対し臨床の視点は、同じ数理を「あくまで枠組みにすぎない」とし、実地の要はむしろ寸口に映る胃気・神・根を読むこと、必要なら足頸部脈を併診することにあると説く。数の体系を「本質」と見るか「足場」と見るか——ここに理論家と臨床家の解釈の断層がある。さらに文献学の視点は、第一難の医学内容そのものより、本文の成立年代・版系統・用字を検証する「メタな入口」として本難を読む点で、他の二者と土俵を異にする。本サイトはこの三つの視座を統一せず、あえて併置する。