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難経八十一難 デジタル注解
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第六十九難 虚実の補瀉(母を補い子を瀉す)

底本(難経本義・滑寿)

原文

經言虛者補之,實者瀉之,不實不虛,以經取之,何謂也? 然。虛者補其母,實者瀉其子。當先補之,然後瀉之。不實不虛,以經取之者,是正經自生病,不中他邪也,當自取其經,故言以經取之。

書き下し文

經に言ふ、虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉し、實せず虛せざれば、經を以て之を取る、と。何の謂ひぞや。

然り。虛する者は其の母を補ひ、實する者は其の子を瀉す。當に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし。實せず虛せず、經を以て之を取るとは、是れ正經自ら病を生じ、他邪に中らざるなり。當に自ら其の經を取るべし。故に經を以て之を取ると言ふ。

現代語訳

古典に「虚証はこれを補い、実証はこれを瀉す。実でも虚でもなければその経自体で取る」とあるが、どういう意味か。答え。虚証ではその母(経)を補い、実証ではその子(経)を瀉す。まず補ってから後に瀉すべきである。実でも虚でもなく経で取るとは、その経自身が病を生じて他の邪に侵されていない場合であり、自らその経を取る。だから「経で取る」という。

底本第六十九難
底本 難経本義(滑寿)(rb00004596)該当頁
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諸版の解釈(14版)

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系統別の色分け:底本・本義系(滑寿)論争・独自解釈系中国注釈・注家系江戸考証学系図説・韻文・仮名等和刻抄物・講義系
rb00004596難経本義 2巻/滑寿(滑伯仁)

出典:難経本義 2巻(版本 rb00004596・滑寿(滑伯仁))

原文

六十九難曰、經言、虛者補之、實者瀉之、不虛不實、以經取之、何謂也。然、虛者補其母、實者瀉其子、當先補之、然後瀉之。不虛不實、以經取之者、是正經自生病、不中他邪也、當自取其經、故言以經取之。靈樞第十篇載十二經皆有盛則瀉之、虛則補之、不盛不虛以經取之。假令肝病虛則補厥陰之合曲泉是也、實則瀉厥陰之榮行間是也。先補後瀉、然於此義不屬、非闕誤即衍文也。

書き下し文

六十九難に曰く、經に言ふ、虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉し、虛せず實せざれば經を以て之を取る、と。何の謂ひぞや。然り。虛する者は其の母を補ひ、實する者は其の子を瀉す。當に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし。虛せず實せず、經を以て之を取るとは、是れ正經自ら病を生じ、他邪に中らざるなり。當に自ら其の經を取るべし。故に經を以て之を取ると言ふ。靈樞第十篇に十二經皆な盛なれば則ち之を瀉し、虛すれば則ち之を補ふと載す。假令へば肝の病虛すれば則ち厥陰の合曲泉を補ひ、實すれば則ち厥陰の榮行間を瀉す。先補後瀉は此の義に屬さず、闕誤に非ず即ち衍文なり。

現代語訳

六十九難。古典に「虚証は補い、実証は瀉し、虚でも実でもなければその経で取る」とあるがどういう意味か。答え。虚証はその母経を補い、実証はその子経を瀉す。まず補ってから瀉すべきである。虚でも実でもなく経で取るとは、その経自身が病を生じ他邪に侵されていない場合で、自らその経を取るゆえ「経で取る」という。滑寿は霊枢経脈篇を出典とし、肝虚は合の曲泉を補い肝実は栄の行間を瀉すと例示。先補後瀉の句はこの義に合わず、脱誤ではなく衍文だとする。

立場

京大本コーパスの底本。滑寿が霊枢経脈篇を出典と明示し、肝虚は合の曲泉、肝実は栄の行間と具体化。先補後瀉の八字を「衍文」とみなす校勘態度を代表する標準テキストで、以下の諸本評価の基準となる。

rb00019982・rb00004588・rb00004589難經達言(三冊/三巻)

出典:難經達言(三冊/三巻)(版本 rb00019982・rb00004588・rb00004589)

原文

六十九難曰、經言虛者補之、實者瀉之、不虛不實、以經取之、何謂也。然、虛者補其母、實者瀉其子、當先補之、然後瀉之、不虛不實、以經取之者、是正經自生病、不中佗邪也、當自取其經、故言以經取之。虛乎此則實乎彼也、補瀉之時先此後彼、虛實不相傾、而病則非佗邪而傷於己也、直其經以取之、非補瀉而行之。

書き下し文

六十九難に曰く、經に言ふ、虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉し、虛せず實せざれば經を以て之を取る、と。何の謂ひぞや。然り。虛する者は其の母を補ひ、實する者は其の子を瀉す。當に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし。虛せず實せず經を以て之を取るとは、是れ正經自ら病を生じ、佗邪に中らざるなり。當に自ら其の經を取るべし。故に經を以て之を取ると言ふ。此に虛すれば則ち彼に實するなり。補瀉の時、此を先にし彼を後にす。虛實相ひ傾かず、而して病は則ち佗邪に非ずして己に傷るるなり。直だ其の經を以て之を取り、補瀉して之を行ふに非ず。

現代語訳

本文の意は底本と同じ。加えて達言は説く。こちらが虚すればあちらが実する。補瀉の際はこちらを先にあちらを後にする。虚実は互いに傾かず、病は他邪ではなく自己に傷ついたものである。ただその経で取るのであって、補瀉して行うのではない、と。

立場

達言系三本を代表。他邪を「佗邪」と表記する異文系統。滑寿注を採らず、虚実を此彼の相対でとらえ「直だ其の經を取り、補瀉して行ふに非ず」と独自の解を付す点が特徴的。

rb00004591難経発揮

出典:難経発揮(版本 rb00004591)

原文

六十九難曰、經言虛者補之、實者瀉之者、當先補之、然後瀉之、不虛不實、以經取之、何謂也。然、虛者補其母、實者瀉其子、不虛不實、以經取之者、是正經自生病、不中他邪、當自取其經、故言以經取之。以經取之者、宜和解劑、假令小青龍湯・半夏瀉心湯・小柴胡湯・桂枝湯・五苓散・平胃散。

書き下し文

六十九難に曰く、經に言ふ、虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉すとは、當に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし、虛せず實せざれば經を以て之を取る、と。何の謂ひぞや。然り。虛する者は其の母を補ひ、實する者は其の子を瀉す。虛せず實せず經を以て之を取るとは、是れ正經自ら病を生じ、他邪に中らざるなり。當に自ら其の經を取るべし。故に經を以て之を取ると言ふ。經を以て之を取るとは、宜しく和解の劑なるべし。假令へば小青龍湯・半夏瀉心湯・小柴胡湯・桂枝湯・五苓散・平胃散なり。

現代語訳

本文の語順を組み替え、以経取之を鍼ではなく湯液で解する。「経で取る」とは和解の方剤がよい、たとえば小青龍湯・半夏瀉心湯・小柴胡湯・桂枝湯・五苓散・平胃散である、とする。

立場

経文の語順が乱れ「實者瀉之者當先補之然後瀉之」を前置する異本。最大の特徴は鍼でなく湯液で解釈し、以経取之を和解剤に当て六方剤を列挙する点。方剤治療へ読み替えた稀有な立場を示す。

rb00004587難経疏証 2巻

出典:難経疏証 2巻(版本 rb00004587)

原文

六十九難曰。經言。虛者補之。實者瀉之。不實不虛。以經取之。何謂也。然。虛者補其母。實者瀉其子。當先補之。然後瀉之。不實不虛以經取之者。是正經自生病。不中他邪也。當自取其經。故言以經取之。滑云、靈樞第十篇載十二經皆有盛則瀉之、虛則補之、不盛不虛以經取之。先補後瀉、然於此義不屬、非闕誤即羨文也。楊氏云、不實不虛、是謂藏不相乘也、故云自取其經。按自六十九難、至八十一難、論鍼法、是爲第六篇。

書き下し文

六十九難に曰く。經に言ふ。虛する者は之を補ひ。實する者は之を瀉し。實せず虛せざれば。經を以て之を取る。何の謂ひぞや。然り。虛する者は其の母を補ひ。實する者は其の子を瀉す。當に先づ之を補ひ。然る後に之を瀉すべし。實せず虛せず經を以て之を取るとは。是れ正經自ら病を生じ。他邪に中らざるなり。當に自ら其の經を取るべし。故に經を以て之を取ると言ふ。滑云ふ、靈樞第十篇に十二經皆な盛なれば則ち之を瀉し、虛すれば則ち之を補ふと載す。先補後瀉は此の義に屬さず、闕誤に非ず即ち羨文なり。楊氏云ふ、實せず虛せずとは、是れ藏の相ひ乘ぜざるを謂ふなり、故に自ら其の經を取ると云ふ。按ずるに六十九難より八十一難に至るは鍼法を論じ、是れ第六篇と爲す。

現代語訳

本文は底本と同じ。滑寿注を「滑云」として引き、先補後瀉を「脱誤ではなく羨文(余分な文)」と断ずる。楊玄操の「臓が相乗しないこと」の説を採り、さらに六十九難から八十一難までを鍼法を論じる第六篇と篇立てして整理する。

立場

滑寿注を「滑云」として引き先補後瀉を「闕誤に非ず即ち羨文なり」と断ずる。加えて六十九難以下八十一難を鍼法論の第六篇と篇立てする、校勘的整理を示す疏証系の代表。

rb00013401難経本義/徐大椿説・伯仁説を併記

出典:難経本義(版本 rb00013401・徐大椿説・伯仁説を併記)

原文

六十九難曰、經言虛者補之、實者瀉之、不實不虛、以經取之、何謂也。然、虛者補其母、實者瀉其子、當先補之、然後瀉之、不實不虛、以經取之者、是正經自生病、不中他邪也、當自取其經、故言以經取之。正經謂本經也。徐大椿云、母生我之經、子我生之經、如肝虛則補腎、肝實則瀉心是也、又云自取其經即於本經取所當刺之穴也。伯仁氏云、肝虛補厥陰之合、肝實瀉厥陰榮。又按伯仁氏虛實補瀉之說、蓋祖第七十九難子母補瀉之法也。母子字下暗帶親字看。

書き下し文

六十九難に曰く、經に言ふ、虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉し、實せず虛せざれば經を以て之を取る、と。何の謂ひぞや。然り。虛する者は其の母を補ひ、實する者は其の子を瀉す。當に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし。實せず虛せず經を以て之を取るとは、是れ正經自ら病を生じ、他邪に中らざるなり。當に自ら其の經を取るべし。故に經を以て之を取ると言ふ。正經とは本經を謂ふなり。徐大椿云ふ、母は我を生ずるの經、子は我が生ずるの經、肝虛すれば則ち腎を補ひ、肝實すれば則ち心を瀉すが如し。又云ふ、自ら其の經を取るとは即ち本經に於て刺すべき所の穴を取るなり。伯仁氏云ふ、肝虛は厥陰の合を補ひ、肝實は厥陰の榮を瀉す。又た按ずるに伯仁氏の虛實補瀉の說は、蓋し第七十九難の子母補瀉の法に祖づくなり。母子の字の下に暗に親の字を帶びて看よ。

現代語訳

本文のあと、徐大椿と滑寿(伯仁)の説を対比する。大椿は自取其経を本経の刺穴を取ることとし、これを妥当とする。一方で伯仁の先後補瀉の説も是とし、その説は七十九難の子母補瀉に由来すると指摘。「母・子の字の下には暗に親の字を帯びて読め」と読解の要点を注する。

立場

徐大椿と滑寿(伯仁)の説を対比し、大椿の本経取穴説を妥当としつつ伯仁の先後補瀉八字も是とする折衷。七十九難子母補瀉との連関を示し「母子字下に暗に親字を帯びて看よ」と読解注を付す和刻注釈本。

rb00000698・rb00004590難経註疏 2巻/3巻

出典:難経註疏 2巻/3巻(版本 rb00000698・rb00004590)

原文

六十九難曰、經言虛者補之、實者瀉之、不虛不實、以經取之、何謂也。然、虛者補其母、實者瀉其子、當先補之、然後瀉之、不虛不實、以經取之者、是正經自生病、不中他邪也、當自取其經、故言以經取之。虛者虛邪也、實者實邪也。假令心傷風者、肝木侵心火、當補手少陰井滎中穴。心傷飲食勞倦者、脾土侵心、當瀉手少陰井滎中穴。不虛不實者、是心傷於正經自病也、故取其經、本文自明矣。然註家以爲虛者即心虛、實者即心實、而不爲五邪之法而釋、大有徑庭、不可不辨焉。

書き下し文

六十九難に曰く、經に言ふ、虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉し、虛せず實せざれば經を以て之を取る、と。何の謂ひぞや。然り。虛する者は其の母を補ひ、實する者は其の子を瀉す。當に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし。虛せず實せず經を以て之を取るとは、是れ正經自ら病を生じ、他邪に中らざるなり。當に自ら其の經を取るべし。故に經を以て之を取ると言ふ。虛する者は虛邪なり、實する者は實邪なり。假令へば心風に傷らるる者は、肝木心火を侵す、當に手少陰の井滎中穴を補ふべし。心飲食勞倦に傷らるる者は、脾土心を侵す、當に手少陰の井滎中穴を瀉すべし。虛せず實せずとは、是れ心正經に傷られて自ら病むなり、故に其の經を取る、本文自ら明らかなり。然れども註家は虛する者を即ち心虛、實する者を即ち心實と以爲し、五邪の法を爲さずして釋す、大いに徑庭有り、辨ぜざるべからず。

現代語訳

本文のあと独自解を展開。虚は虚邪、実は実邪であるとし、心が風に傷られる(肝木が心火を侵す)なら手少陰の井栄を補い、飲食労倦に傷られる(脾土が心を侵す)なら手少陰の井栄を瀉すと具体化する。虚でも実でもないとは心がその経自身で病むことだと説き、虚を単なる心虚とする従来の註家は大きく食い違っており正さねばならぬと批判する。

立場

註疏二本を代表。虚実を四十九難の五邪(虚邪・実邪)として読み、心傷風=肝木侵心火に手少陰を補瀉すると具体化。虚を単なる心虚とする従来の註家を「大いに径庭あり」と峻烈に批判する独自系統。

rb00004592難経評林 6巻

出典:難経評林 6巻(版本 rb00004592)

原文

六十九難補母瀉子之圖。實者瀉其子、虛者補其母、不實不虛以經取之。六十九難曰、經言虛者補之、實者瀉之、不虛不實以經取之。假如肝屬木、腎屬水、腎乃木之母、水不能生木、故肝虛耳、今腎合陰谷屬水者而補之、則母能令子實、而肝不虛也。心爲肝之子、火有餘故肝實耳、今心主榮穴勞宮屬火者以瀉之、則子能令母虛、而母不實也。當先補之然後瀉之、此兩句之義非有闕誤必衍文也。

書き下し文

六十九難、母を補ひ子を瀉すの圖。實する者は其の子を瀉し、虛する者は其の母を補ひ、實せず虛せざれば經を以て之を取る。六十九難に曰く、經に言ふ、虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉し、虛せず實せざれば經を以て之を取る、と。假如へば肝は木に屬し、腎は水に屬す、腎は乃ち木の母、水木を生ずる能はず、故に肝虛するのみ、今ま腎の合陰谷の水に屬する者を補へば、則ち母能く子をして實たらしめ、肝虛せざるなり。心は肝の子爲り、火餘り有り、故に肝實するのみ、今ま心主の榮穴勞宮の火に屬する者を以て之を瀉せば、則ち子能く母をして虛たらしめ、母實せざるなり。當に先づ之を補ひ然る後に之を瀉すべしの此の兩句の義は闕誤有るに非ず必ず衍文なり。

現代語訳

巻頭に「補母瀉子之図」を掲げ、五行配当を具体化する。肝(木)が虚するのは母たる腎(水)が木を生じきれぬためで、腎の合穴・陰谷を補えば母が子を実たらしめ肝の虚は解ける。肝が実するのは子たる心(火)が有余だからで、心包の栄穴・労宮を瀉せば子が母を虚たらしめ実は解ける、とする。先補後瀉の二句は脱誤ではなく必ず衍文だと断ずる。

立場

巻頭に補母瀉子之図を掲げる図解本。肝虚は母たる腎の合陰谷を補い、肝実は子たる心包の栄労宮を瀉すと五行配当を具体化。当先補之然後瀉之を「闕誤に非ず必ず衍文」とし、四十九難の五臓自病も列挙する詳注系。

rb00002419黄帝八十一難経輯釋備考

出典:黄帝八十一難経輯釋備考(版本 rb00002419)

原文

六十九難曰、經言虛者補之、實者瀉之、不虛不實、以經取之、何謂也。然、虛者補其母、實者瀉其子、當先補之、然後瀉之。經刺四字、按經脈篇曰盛則寫之、虛則補之、不盛不虛、以經取之、名曰經刺。甲乙曰、曲泉者水也、在膝內輔骨下、大筋上、小筋下、陷者中。甲乙經曰、行間火是也、在足大指間、動脈陷者中。撰補注曰、此經先立井榮兪經合、配象五行、即十二經中各有子母遞相生養、然後言用鍼補瀉之法。義本即於本經取所當刺之穴、不必補母瀉子也。

書き下し文

六十九難に曰く、經に言ふ、虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉し、虛せず實せざれば經を以て之を取る、と。何の謂ひぞや。然り。虛する者は其の母を補ひ、實する者は其の子を瀉す。當に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし。經刺の四字、按ずるに經脈篇に曰く盛なれば則ち之を寫し、虛すれば則ち之を補ひ、盛ならず虛せざれば經を以て之を取る、名づけて經刺と曰ふ。甲乙に曰く、曲泉は水なり、膝の内輔骨の下、大筋の上、小筋の下、陷なる者の中に在り。甲乙經に曰く、行間は火是れなり、足の大指の間、動脈陷なる者の中に在り。撰補注に曰く、此の經先づ井榮兪經合を立て、五行に配象し、即ち十二經中各の子母遞ひに相ひ生養し、然る後に鍼を用ゐる補瀉の法を言ふ。義は本と本經に於て刺すべき所の穴を取るにして、必ずしも母を補ひ子を瀉せざるなり。

現代語訳

経脈篇・禁服篇の「不盛不虚以経取之、名づけて経刺という」と対校して経刺四字の異同を論ずる。甲乙経を引いて曲泉(水・膝内)と行間(火・足大指間)の部位を注記し、撰補注(丁徳用)を援用して井栄兪経合を五行に配し十二経それぞれの子母が相生相養する上で補瀉法を説くとする。以経取之は本経の刺穴を取ることで、必ずしも補母瀉子ではないと結ぶ。

立場

経脈篇・禁服篇と対校し経刺四字の異同を論ずる考証本。甲乙経を引いて曲泉・行間の部位を注記し、丁徳用「撰補注」を援用して井栄兪経合の五行配当から補瀉法を説く。校勘と注疏を集成した輯釈系。

rb00004583難経経釈 2巻

出典:難経経釈 2巻(版本 rb00004583)

原文

六十九難曰、經言虛者補之、實者瀉之、不實不虛、以經取之、何謂也。虛血氣虛也、實血氣實也、補之行針用補法也、瀉之行針用瀉法也。按所引四語見靈經脈篇、又禁服篇論關格亦有此四語、而以經取之句下又有名曰經刺四字。不實不虛本作不虛不實、以經取之者、是正經自生病、不中他邪也。按內經補瀉之法、或取本經、或雜取他經、或先瀉後補、或先補後瀉、則補母瀉子之法亦其中之一端、若竟以爲補瀉之道盡於此則不然也。

書き下し文

六十九難に曰く、經に言ふ、虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉し、實せず虛せざれば經を以て之を取る、と。何の謂ひぞや。虛は血氣の虛なり、實は血氣の實なり、之を補ふは針を行ひ補法を用ゐるなり、之を瀉すは針を行ひ瀉法を用ゐるなり。按ずるに引く所の四語は靈樞經脈篇に見え、又た禁服篇の關格を論ずるにも亦た此の四語有り、而して以經取之の句の下に又た名づけて經刺と曰ふの四字有り。實せず虛せずは本と不虛不實に作る、經を以て之を取るとは、是れ正經自ら病を生じ、他邪に中らざるなり。按ずるに内經の補瀉の法は、或いは本經を取り、或いは雜へて他經を取り、或いは先づ瀉して後に補ひ、或いは先づ補ひて後に瀉す、則ち母を補ひ子を瀉すの法も亦た其の中の一端なり、若し竟に補瀉の道此に盡くと以爲さば則ち然らざるなり。

現代語訳

虚実を血気の虚実、補瀉を鍼の補法・瀉法と釈す。引かれた四語は霊枢経脈篇に見え、禁服篇にもあってその下に「経刺という」四字が付くと考証する。さらに「不実不虚は本来は不虚不実に作る」と本文の異同を明記。内経の補瀉は本経・他経・先瀉後補・先補後瀉など多様で、補母瀉子はその一端にすぎず、補瀉の道がこれで尽きるとみるのは誤りだと相対化する。

立場

「不實不虛は本と不虛不實に作る」と本文異同を明記する校勘重視の経釈系。虚実を血気の虚実と釈し、内経の補瀉は本経・他経・先後など多様で補母瀉子はその一端に過ぎぬと、滑寿説を相対化する立場。

rb00004578難経韵語図解 2巻

出典:難経韵語図解 2巻(版本 rb00004578)

原文

六十九難曰。經言。虛者補之。實者瀉之。不虛不實。以經取之。何謂也。然。虛者補其母。實者瀉其子。當先補之。然後瀉之。不虛不實。是正經自生病。不中他邪也。當自取其經。故言以經取之。

書き下し文

六十九難に曰く。經に言ふ。虛する者は之を補ひ。實する者は之を瀉し。虛せず實せざれば。經を以て之を取る。何の謂ひぞや。然り。虛する者は其の母を補ひ。實する者は其の子を瀉す。當に先づ之を補ひ。然る後に之を瀉すべし。虛せず實せず。是れ正經自ら病を生じ。他邪に中らざるなり。當に自ら其の經を取るべし。故に經を以て之を取ると言ふ。

現代語訳

本文は底本とほぼ同じだが、答文の末尾「虚でも実でもない、経で取るとは(以經取之者)」の五字を欠き、直に「虚でも実でもない、これは正経が自ら病を生じ」と続ける。注解を付さず経文のみを掲げる。

立場

韵語による図解本。答文末尾で「不虛不實、以經取之者」の「以經取之者」五字を脱し、直に「不虛不實、是正經自生病」と続ける異文を示す。注解を省き経文の暗誦・図解に主眼を置く簡略系テキスト。

rb00004595難経本義 2巻/滑寿(増補注)

出典:難経本義 2巻(版本 rb00004595・滑寿(増補注))

原文

六十九難曰、經言虛者補之、實者瀉之、不虛不實、以經取之、何謂也。然、虛者補其母、實者瀉其子、當先補之、然後瀉之。當先補之然後瀉之者、此承上文言、實不虛者必當先補之然後瀉之、陽氣不足陰氣有餘、當先補其陽而後瀉其陰、陰氣不足陽氣有餘、當先補其陰而後瀉其陽之意、然於此義不屬、非闕誤即衍文也。

書き下し文

六十九難に曰く、經に言ふ、虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉し、虛せず實せざれば經を以て之を取る、と。何の謂ひぞや。然り。虛する者は其の母を補ひ、實する者は其の子を瀉す。當に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし。當に先づ之を補ひ然る後に之を瀉すべしとは、此れ上文を承けて言ふ、實にして虛せざる者は必ず當に先づ之を補ひ然る後に之を瀉すべし、陽氣不足し陰氣有餘なれば、當に先づ其の陽を補ひて後に其の陰を瀉すべく、陰氣不足し陽氣有餘なれば、當に先づ其の陰を補ひて後に其の陽を瀉すべしの意なり、然れども此の義に屬さず、闕誤に非ず即ち衍文なり。

現代語訳

本義系だが滑寿注の先補後瀉の説明を増補する。先補後瀉とは上文を承けたもので、陽気が不足し陰気が有余なら先に陽を補い後に陰を瀉す、逆に陰気が不足し陽気が有余なら先に陰を補い後に陽を瀉す、という意だと陰陽を対句で整える。しかしなおこの義に合わず、脱誤ではなく衍文だとする。

立場

本義系だが滑寿注の先補後瀉解に陽気不足・陰気不足の対句を補い左右対称に整える増補型。当先補之然後瀉之を上文を承けた句とみなしつつ、なお義に属さず衍文とする。底本rb00004596より注文が敷衍された本義異版。

rb00019980難經本義 2卷/四明陳氏・熊氏・濟氏説を割注併記

出典:難經本義 2卷(版本 rb00019980・四明陳氏・熊氏・濟氏説を割注併記)

原文

六十九難曰、經言(靈樞經脈篇有此文之意)虛者補之、實者瀉之、不虛不實、以經取之、何謂也。然、虛者補其母、實者瀉其子、當先補之、然後瀉之、此乃子母之法也。四明陳氏曰、春氣在毛、夏氣在皮、秋氣在分肉、冬氣在骨髓、是淺深之應也。熊氏以五行之生化而言、濟氏以鍼家子奪而言。假令肝病虛即補厥陰之合水曲泉是也、實則瀉厥陰之榮火行間是也。或問俗解評林之意、肝虛可補腎、肝實可瀉心、今此註何以其經并補瀉乎。

書き下し文

六十九難に曰く、經に言ふ(靈樞經脈篇に此の文の意有り)虛する者は之を補ひ、實する者は之を瀉し、虛せず實せざれば經を以て之を取る、と。何の謂ひぞや。然り。虛する者は其の母を補ひ、實する者は其の子を瀉す。當に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし、此れ乃ち子母の法なり。四明陳氏曰く、春氣は毛に在り、夏氣は皮に在り、秋氣は分肉に在り、冬氣は骨髓に在り、是れ淺深の應なり。熊氏は五行の生化を以て言ひ、濟氏は鍼家の子奪を以て言ふ。假令へば肝の病虛すれば即ち厥陰の合水曲泉を補ふ是れなり、實すれば則ち厥陰の榮火行間を瀉す是れなり。或るひと問ふ、俗解評林の意、肝虛は腎を補ふべく、肝實は心を瀉すべし、今ま此の註何ぞ其の經を以て并せて補瀉するや。

現代語訳

割注に「霊枢経脈篇にこの文の意がある」と出典を挿入する本義系。四明陳氏の四時刺深浅説(春は毛・夏は皮・秋は分肉・冬は骨髄)を引き、熊氏(五行の生化)と濟氏(鍼家の子奪)の二説を並記する。さらに「評林は肝虚は腎を補い肝実は心を瀉すというが、この注はなぜ本経で補瀉するのか」と問答形式で諸説の是非を論ずる。

立場

割注に「霊枢経脈篇に此の文の意有り」と出典を挿入する本義系。四明陳氏の四時刺深浅説、熊氏(五行生化)と濟氏(鍼家子奪)の対立を並記し、評林の肝虚補腎説の是非を問答体で論ずる論争集約本。

rb00004581・rb00004580難経滑義補正

出典:難経滑義補正(版本 rb00004581・rb00004580)

原文

六十九難。正、當先補之云、一統藏府中有虛者必有實者、如後條所謂東方實西方虛、先補北方之水、而後寫南方之火是也。

書き下し文

六十九難。正す、「當先補之」と云ふは、一に藏府中に虛する者有れば必ず實する者有るを統ぶ、後條に所謂る東方實し西方虛すれば、先づ北方の水を補ひ、而る後に南方の火を寫すが如き、是れなり。

現代語訳

六十九難。校正して言う。「まず補う」とは、臓腑のうちに虚があれば必ず実があることを総括したもので、後の条(七十五難)にいう「東方が実し西方が虚せば、まず北方の水を補い、後に南方の火を瀉す」という類がこれである。

立場

経文を掲げず滑寿本義への校正注のみを収める別系統(正文二パーセント台)。当先補之の一句を七十五難「東方実西方虚、先補北方之水後瀉南方之火」に結びつけて解する。滑義を補正する注釈単独本を代表する。

rb00019981・rb00008889難經抄(不分卷)

出典:難經抄(不分卷)(版本 rb00019981・rb00008889)

原文

六十九難曰、集注句解此上有用鍼補瀉第十三之題辭也。寳文類聚卷之三十八云、扁鵲兄弟三人善醫、長兄於病視神未有形而除之、故名不出於家、中兄治病其在毫毛、故名不出於閭、若鵲針人血脈投人毒藥、故名聞諸侯。脈訣刊誤曰、難經曰虛則補其母、實則瀉其子、虛當補母、千金曰心勞甚者補脾氣以益之、脾旺則感於心矣、此乃勞則補其子。母能令子實、濟氏注以實作虛、子能令母虛、滑氏注虛作實。

書き下し文

六十九難に曰く、集注句解、此の上に用鍼補瀉第十三の題辭有るなり。寳文類聚卷の三十八に云ふ、扁鵲の兄弟三人善く醫す、長兄は病に於て神の未だ形有らざるに之を除く、故に名は家を出でず、中兄は病を治むること其れ毫毛に在り、故に名は閭を出でず、鵲の若きは人の血脈に針し人に毒藥を投ず、故に名は諸侯に聞こゆ。脈訣刊誤に曰く、難經に曰く虛すれば則ち其の母を補ひ、實すれば則ち其の子を瀉す、虛は當に母を補ふべし、千金に曰く心勞甚しき者は脾氣を補ひて以て之を益す、脾旺なれば則ち心に感ず、此れ乃ち勞すれば則ち其の子を補ふなり。母能く子をして實たらしむは、濟氏の注は實を虛に作り、子能く母をして虛たらしむは、滑氏の注は虛を實に作る。

現代語訳

集注句解を軸に諸説を抄録する講義録。冒頭に用鍼補瀉第十三の題辞を置き、宝文類聚の扁鵲兄弟三人の説話(長兄は未発の病を、中兄は毫毛の病を、扁鵲は血脈に鍼し毒薬を投ずるゆえ名が広まる)を引く。脈訣刊誤・千金を援用し、虚は母を補い労は子(脾)を補うと説く。さらに「母能く子を実たらしむ」を濟氏注は実を虚に作り、「子能く母を虚たらしむ」を滑氏注は虚を実に作る、と異文を対照する。

立場

集注句解を軸に諸説を抄録した講義録系(抄録本)。宝文類聚の扁鵲兄弟説話、脈訣刊誤・千金の心労補脾を引き、母能令子実の濟氏注と滑氏注の虚実の異文を対照。七十五難と絡めた注釈の集成を示す。

三つの視点から読む(文献学・臨床・理論)

※ ここは確定した定説ではなく、古典文献を三つの視点から読み解いた解釈です。色付きの文献名は、その視点が根拠とした難経の版で、クリックすると上の該当カードが開きます。今後さらに検証していきます。

第六十九難は、経の『虚証はこれを補い、実証はこれを瀉す。実でも虚でもなければその経自体で取る』の意を問い、虚証ではその母(経)を補い、実証ではその子(経)を瀉す、まず補ってから後に瀉すべきで、実でも虚でもなく経で取るとはその経自身が病を生じて他邪に侵されていない場合に自らその経を取ることだ、と答えます。診断の起点は、其の経が虚か実か不虚不実かを候すことにあり、肝なら弦の太過(実)か不及(虚)かを診、楊玄操が『春に腎脈を得るは腎虚にして気を肝に伝へ得ざるなり』と説くように季と臓の脈が相応せぬ乱れを候し、望診で面色・爪甲・目、問診で情志、腹診で期門・章門の虚実を合わせて他邪の干渉か正経の自病かを弁別します。治療は綱領『虚する者は其の母を補ひ、実する者は其の子を瀉す』に従い、肝虚には母たる合水穴の曲泉を補い、肝実には子たる滎火穴の行間を瀉す(滑寿)。補瀉は『当に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし』に則り、まず母を温補してから子を瀉して虚実の傾きを整えます。第四十九難の正経自病では母子に及ばず自ら其の経を取り本経の該当穴のみを取穴し、湯液は『難経発揮』が『経を以て之を取るは宜しく和解の剤なるべし』として小柴胡湯・半夏瀉心湯・桂枝湯・五苓散・平胃散を挙げ偏らぬ調和を旨とします。予後は、正経自病で他臓の相乗なきものは治しやすく、母子相伝の進んだ実邪・虚邪は伝変を追い早きに断つべしと見立てます。

文献学の視点

本難の「経言」は『霊枢』経脈篇を指す。原文「盛なれば則ち之を瀉し、虚すれば則ち之を補い、盛ならず虚せざれば経を以て之を取る」を、越人は「盛/不盛」を「実/不実」に換え、経脈篇に無い「虚は其の母を補い、実は其の子を瀉す」の子母補瀉を接ぎ木した。これは七十五・七十九難の子母法を先取りし、一般刺法を鍼家固有の五行補瀉へ約言・改変した点に眼目がある。難経経釈は同四句が禁服篇にも見え、下に本来「名づけて経刺と曰う」の四字を伴うと指摘し、出典を二重に捉える。

和刻二十四版を校合すると字句の揺れが著しい。語順に「不虚不実」「不実不虚」の両系があり、経釈は「本と不虚不実に作る」と明記する。「他邪」は達言諸本が一様に「佗邪」に作り、「傷於己」も同本は「傷於已」と崩す。滑寿が「当先補之、然後瀉之」を余剰とみる判語は、本義系で「衍文」と「羨文」に分裂する。穴名も乱れ、rb00022829は「合曲泉」を「合泉」と脱して滑注を乱写し、輯釈備考は「自生病」を「自病」、「不中他邪」を「不受他邪」に作る。

解釈は三系に分かれる。第一は五邪説で、楊玄操・李駉と難経註疏(rb00000698)は虚実を五十難の虚邪・実邪と読み、「春に腎脈を得るは虚邪ゆえ母たる腎を補う」と他臓相乗で解し、虚を単なる心虚とする説を「五邪の法にあらず」と論難する。第二は本経五輸の子母説で、丁徳用が井滎兪経合を五行に配し、滑寿がこれを承けて「肝虚は厥陰の合曲泉(水=母)を補い、肝実は滎行間(火=子)を瀉す」と本経内で完結させる(葉霖も同じ)。第三は他経説で、徐大椿は「肝虚なら腎を補い肝実なら心を瀉す」と別経を取り、rb00013401は「大椿の解穏帖なれど、先後補瀉の八字は伯仁に当る」と折衷する。黄元御は「本経を取りて子母を取らず」と簡潔に断じ、難経発揮は独り「以経取之」を和解剤(小柴胡湯等)と読み替える。

臨床の視点

診断の起点は、其の経が虚か実か、あるいは不虚不実かを候すことにある。脈診は『霊枢』経脈篇の「盛なれば則ち之を瀉し、虚すれば則ち之を補ふ」(盛実なら瀉し、虚なら補う)を規矩とし、肝なら弦の太過(実)か不及(虚)かを診る。楊玄操が「春に腎脈を得るは腎虚にして気を肝に伝へ得ざるなり」と説くごとく、季と臓の脈が相応せぬ乱れを候す。望診で面色・爪甲・目、問診で情志(憂愁思慮・恚怒)、腹診で期門・章門の虚実を合わせ、他邪の干渉か正経の自病かを弁別する。

治療は本難の綱領「虚する者は其の母を補ひ、実する者は其の子を瀉す」(虚証は母経を補い、実証は子経を瀉す)に従う。肝虚には母たる合水穴の曲泉を補い、肝実には子たる榮火穴の行間を瀉す(滑寿『難経本義』)。補瀉は「当に先づ之を補ひ、然る後に之を瀉すべし」に則り、まず母を温補してから子を瀉し、虚実の傾きを整える。虚寒には曲泉・章門へ知熱灸を加える。四十九難の「憂愁思慮すれば則ち心を傷り、形寒飲冷すれば則ち肺を傷る」に当たる正経自病では、母子に及ばず自ら其の経を取り、本経の該当穴のみを取穴する。湯液は『難経発揮』が「経を以て之を取るは宜しく和解の剤なるべし」として小柴胡湯・半夏瀉心湯・桂枝湯・五苓散・平胃散を挙げ、偏らぬ調和を旨とする。

机上を手技へ移す要点は三つ。第一に、刺す前に脈で母子いずれの側が病むかを決し、補う経と瀉す経を別穴に分けること。第二に先補後瀉の時間差を守り、母経に得気を確かめてから子経へ移ること。第三に、他邪なき自病では補瀉を弄せず本経を直く取る(『難経達言』に「直だ其の経を以て之を取り、補瀉して之を行ふに非ず」)。予後は、正経自病で他臓の相乗なきものは治しやすく、母子相伝の進んだ実邪・虚邪は伝変を追い早きに断つべし、と見立てる。

理論・数理の視点

第六十九難の「虛する者は其の母を補ひ、實する者は其の子を瀉す」――虚証はそれを生む母経を補い、実証はそれが生む子経を瀉す――という一句は、鍼の技法である以前に、気が五行の相生の環をどう流れるかを説いた気論である。母は「我を生ずる者」、子は「我が生ずる者」(葉霖注)であり、生気は母から子へ一方向に灌がれる。ゆえに一経の虚はその経が自ら涸れたのではなく、上流たる母の生化が細ったためであり、母を補えば「母能く子をして實たらしむ」(第七十五難)。逆に一経の実は下流の子に瀉して洩らす。補を先とし瀉を後とするのは、生気をまず源に充たしてから余を導くという、気の運行の順序にほかならない。

 数理の面では「先づ井滎兪經合を立て、五行に配象す」(難經集注・丁德用注)とあり、一経のうちに木火土金水の五を具え、十二経それぞれが子母を相い生養する。ここで数「五」は臓腑を貫く生成の格子であって、肝虚なら厥陰の合(水=母)たる曲泉を補い、肝実なら厥陰の滎(火=子)たる行間を瀉す(滑壽が靈樞第十篇に拠る)。木は水に生じ火を生ずるという相生の数理が、そのまま補瀉の座標を定める。生剋のうち本難が相生のみを説いて相克に及ばぬのは、正気の順行を主とするからである。

 この気論と数理は、さらに天人相応の宇宙論へ接がれる。原典たる霊枢経脈篇は「盛んなれば則ち之を瀉し、虚すれば則ち之を補ひ、盛んならず虚せざれば經を以て之を取る」と説き、人身の虚実を天地の消長と同一の理に置く。四明陳氏が「春氣は毛に在り、夏氣は皮に在り」(難經本義)と季の気に応じて刺の浅深を論じ、素問五常政大論の「必ず歳氣を先にし、天和を伐つ無かれ」(まず其の年の気運を弁え、天地の調和を損なうな)を引くのも、鍼が介入するのが一身の気であると同時に、天地を運ぶ同一の生化だからである。「經を以て之を取る」――他邪に中らぬ正経の自病(四十九難)はその経自身で調える――とは、宇宙の秩序を人身の一経に畳み込み、その環を自足せしめる営みにほかならない。

三つの視点で見解が分かれた点

本難の『経言』は『霊枢』経脈篇を指し、原文『盛なれば則ち之を瀉し、虚すれば則ち之を補い、盛ならず虚せざれば経を以て之を取る』の『盛/不盛』を越人は『実/不実』に換え、経脈篇に無い『虚は其の母を補い、実は其の子を瀉す』の子母補瀉を接ぎ木して、七十五・七十九難の子母法を先取りしました(経釈は同四句が禁服篇にも見え下に『経刺と曰う』を伴うと指摘)。第一に版本異同で、語順に『不虚不実/不実不虚』の両系があり、滑寿の『先補後瀉』を余剰とみる判語は本義系で『衍文』と『羨文』に分裂します。第二に解釈が三系に分かれ、第一は五邪説(楊玄操・李駉は虚実を第五十難の虚邪・実邪と読み他臓相乗で解す)、第二は本経五輸の子母説(丁徳用・滑寿は本経内で完結させ、肝虚は合曲泉・肝実は滎行間)、第三は他経説(徐大椿は肝虚なら腎を補い肝実なら心を瀉すと別経を取る)で、黄元御は『本経を取りて子母を取らず』と断じ、発揮は独り『以経取之』を和解剤と読み替えます。