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取り上げるのは『医学警悟』序の冒頭です。宇津木昆台はここで、医書が存在しても、それを使いこなす人物がいなければ医術は失われると述べます。さらに近世古方派の張仲景回帰を評価しながら、陰陽・虚実を十分に弁ぜず攻撃治療へ偏る危険を指摘します。
掲載範囲
| 文献 | 宇津木昆台『医学警悟』(『古訓医伝』所収) |
|---|---|
| 単元 | 序 |
| 対応頁 | 無料ビュアー seq2-3 / 画像ID kulib_00002-kulib_00003 |
| 公開方針 | 書き下し文・現代語訳の一部を静的HTMLで公開し、原画像・頁移動・検索は24頁無料ビュアーへ接続します。 |
書き下し文
古訓医伝序。
記に曰く、文武の政、布きて方策に在り。其の人存すれば則ち其の政擧がり、其の人亡すれば則ち其の政息む。医術も亦た然り。
医籍有りと雖も、苟くも其の人無ければ、則ち其の術息むに幾し。世の病に罹る者は、殆ど横夭を免れず。蓋し其の書廣博にして適從する所無ければなるか。
近世、英傑輩出し、五行を點じて其の藩を毀ち、廢して其の道を更へ、以て世の耳目を新たにす。特に長沙氏の書を掲げて、以て適從する所を知らしむ。其の功偉なりと謂ふべし。
然れども陰陽を辨ぜず、虚実を詳らかにせず、但だ毒を以て攻むと謂ふ。攻むるも亦た矯めて直を過ぐる者なり。其の弊遂に攻撃に偏するに至るなり。此れ未だ以て其の術を得たりと為さず。
彼の温補者流と互ひに仇視して相容れずと、医術の振はざる、実に此の極に至るなり。亦た哀しからずや。
現代語訳
『古訓医伝』の序文。
『礼記』にこう書かれている。周の文王・武王の政治の方針は、書物や記録の上に余すところなく記されている。その政治を担うにふさわしい人物がいれば政治はうまく行われ、その人物がいなくなれば政治もすたれてしまう。医術もまた、これと同じである。
医学の書物がいくら残っていても、それを使いこなせる人がいなければ、その医術はほとんど絶えてしまうも同然である。そのため、世間で病気にかかる人は、ほとんどが不慮の早死にを避けられないでいる。思うにそれは、医書があまりに広く膨大すぎて、いったいどれに従えばよいのか拠りどころが定まらないからではなかろうか。
近ごろ、すぐれた人物が次々と現れ、五行説を退けてその垣根を取り払い、旧来のやり方を廃して新しい道に改め、それによって世間の見聞きするところを一新した。とりわけ張仲景の著書を旗印として掲げ、人々に何を拠りどころとすべきかを明らかに示した。その功績は偉大であったと言ってよい。
しかしながら彼らは、陰と陽を見分けず、虚と実を細かく見きわめもせず、ただ病はすべて毒であってそれを攻め去るのだ、と説くばかりである。攻める治療にしても、それは曲がりを正そうとして、かえってまっすぐを通り越してしまうようなやり過ぎなのである。その弊害は、ついには攻める治療一辺倒に偏ってしまうところにまで行き着いてしまった。これではまだ、医術の真髄を会得したとは言えない。
古方を奉じる者と温補を主とする一派とが、互いに敵視しあって受け入れようとせず、医術が振るわないことは、まことにこれほどの極みにまで達してしまっている。なんとも悲しいことではないか。
読みどころ
医書よりも運用者
昆台は、書物の存在だけでは医術は保たれないと見ています。これは、古典データを臨床推論へ再接続する本サイトの問題意識と直結します。
張仲景回帰の評価
傷寒論・金匱要略を拠りどころにする近世古方派の功績を明確に認めています。
攻撃偏重への批判
毒を攻めるだけでは、陰陽・虚実の弁別が欠ける。ここに医学警悟全体の理論的な問題設定が現れています。
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