『傷寒雑病論』研究の現在地
2026年10月9日
研究報告の目次
結論を先に
『素問』『霊枢』は身体と病の理を説き、『難経』はそれを診察と治療の場へ下ろしました。しかし、その理だけでは、今この患者さんの病がどこにあり、身体がどう応じているかを、診察のたびに判定し直すことはできません。その判断の論理を示したのが『傷寒雑病論』であり、それを臨床で使える形に組み直したのは、古方派を中心とする江戸の日本の臨床家たちでした。
私たちは72書を読み比べ、MLMNの六経層(L6)の判定規則に、宇津木昆台『医学警悟』の解釈を採ることに決めました。決め手は、一つの読み方で『傷寒論』の条文をどこまで矛盾なく説明できるか、という整合性です。
研究に寄せて
この研究を進めるにあたり、多方面からご指摘やご意見をいただいてきました。なかでも、本ホームページで掲載許可をいただいて紹介している星野卓之先生のご意見は、私自身の研究の進め方を問い直すきっかけになりました。
星野先生からいただいたご指摘は、次のとおりです。治療者によって言葉の解釈や重視する所見が異なること。患者さんの言葉を解釈で置き換えずに残すこと。症状の主客を区別すること。昆台の医論には、一般的な傷寒論解釈と相容れない独自性があること。南涯については、著作の時期による変化や、批判・継承に関わる医家まで視野に入れる必要があること。そして、理論を整えるだけでは多様な臨床の現実を捉え尽くせないこと。
舌画像については、Ali Al-Naji教授から、測定できる特徴とその臨床的解釈を分けること、撮影条件による変動を扱うことの助言をいただきました。これは舌画像に関する技術的な助言であり、昆台の採用やMLMN全体への賛同ではありません。
これらのご指摘に、文献でお答えします。原典5書、宇津木昆台の4著作、先行して検討した注釈17書、追加の46書、計72書を一冊ずつ読み、それぞれが六経をどう定義し、何を根拠に判断しているかを書別の論考にまとめました。本稿は、9月23日にお知らせした研究の、その後の到達点の報告です。
臨床で患者さんと向き合う中で、私には問い続けてきたことがあります。病因を説明できたとき、それでその方の病態を把握したと言えるのか、ということです。患者さんの病態は固定されていません。もともとの身体の条件があり、新たな出来事が加わり、経過や治療によって状態が変わります。「何によって起こったか」と「今、どうなっているか」は別の問いです。MLMNでは前者を病因層(L2)に残し、後者を六経層(L6)で判定します。この二つ目の問いに答える論理を求めたことが、本研究の出発点でした。
石原幸一
研究の経過
『医学警悟』を含む関連研究には、記録をたどれる5月末から数えて四か月余りを費やしました。
| 時期 | 研究の歩み |
|---|---|
| 5月30日 | 『医学警悟』六巻306頁の本文・書き下し・現代語訳を整理 |
| 7月9日 | 『霊枢』『難経』『傷寒論』と昆台の記述から、経絡と六経の違いを検討 |
| 8月28日以降 | 中国・日本の関連文献を洗い直し、原典・注釈書・版本を区別。趙開美本『仲景全書』所収の四作品を整理 |
| 9月 | 原典画像との照合を進め、一書・一巻ごとの論考を重ねる |
| 10月2日から9日 | 72書の六経の定義と判断の根拠を比較し、L6第1版の判定規則を定める |
『内経』と『傷寒雑病論』は何が違うか
『素問』「熱論」にも、『霊枢』「根結」にも、病の進行と変化の記述はあります。違いは、変化を書いているかどうかではありません。
『内経』は、臓腑・経脈・気血・季節の関係から、所見の意味と治すべきところを説きます。『傷寒論』は、現在の脈証に、発病後の経過、すでに受けた治療、その後の変化を重ね、そのつど治法を選び直し、禁じます。「觀其脉證、知犯何逆、隨證治之」(太陽病上篇)。病がいま、どこに、どういう状態であるかを判定し直す手順を、条文の形で積み上げたのは『傷寒論』です。
ただし、現在読むことのできる『傷寒論』『金匱要略』には、伝承と編集の層があります。『金匱要略』には、林億等が方を証候の下へ配置し直したという序があります。『傷寒論』には、三陰三陽の篇と、汗吐下の可否を集めた篇、そして経絡と日数を説く傷寒例が併存します。仲景の本文と後世の手を分けて読むこと。これが、後で述べる江戸の注家たちの出発点でもありました。
中国の注家は割れ、江戸の日本の注家は同じ方向へ進んだ
中国の注家は、六経の読み方で割れたままでした。成無己『注解傷寒論』、喩昌『尚論篇』、黄元御『傷寒懸解』は、六経を経絡とし、日を追って経を伝わると読みました。方有執『傷寒論條辨』は「六經之經。與經絡之經不同…猶言部也」、柯琴『傷寒来蘇集』は「仲景之六經是經略之經。而非經絡之經」として、六経を部位・地面と読みました。張志聰『傷寒論集注』は六気の気化で読み、徐大椿『傷寒論類方』は条を方で類聚しました。経絡、部位、気化、方証。中国では一つの読みに収まりませんでした。
日本では、吉益東洞が『医断』で「傷寒論六經、非謂病在六經也、假以爲紀也已、及其施治也、皆從證而不拘焉」と述べ、六経を経絡と読むことも、経から経へ伝わるという説も退けました。その後の江戸の注家は、学派の違いを越えて同じ方向へ進みます。
- 六経は経絡ではない。山田正珍『傷寒論集成』は「實則非經絡之謂也」と書き、中西深斎『傷寒論弁正』は三陽三陰を「表裏之統名」として、経絡の名を借りたにすぎないと論じました。
- 六経は、病のある場所と深さ、寒熱・虚実の名である。劉棟『傷寒論劉氏伝』は「此經標六名、以定其病之部位」とし、天野泰嶽は六篇を万病の部位の名としました。
- 日を数えて経を伝わる、という読みは採らない。浅田宗伯『傷寒論識』は伝経を退け、中西深斎『傷寒論講議』は伝経を後人の説としました。
- 傷寒例など経絡と日数を説く篇は、仲景の本文と分けて扱う。
今回の追加46書のうち日本人の著作は44書あり、六経を主に経絡で立てる書は、浅井、山田業広、古林見桃、芳原谷の4書だけでした。中国で数ある説の一つにすぎなかった部位の読みは、今回読んだ江戸の注家では、大半が共有する前提になっていました。
この到達は、江戸の臨床家たちの膨大な労力の上にあります。彼らは中国から渡った『傷寒雑病論』とその注釈を、そのまま受け入れませんでした。条文を一つずつ分解し、仲景の本文と後人の文を分け、目の前の患者で確かめ、合わないものを退けました。吉益東洞は条文を方ごとに組み直し、証に従って治すことを貫きました。吉益南涯は証の背後に気・血・水を見ました。中西深斎は伝経の説を本文から分けました。平野知両は三例の解剖の所見まで持ち出して、六経の実体を問いました。一冊の書物に、これだけの数の臨床家がそれぞれの方法で挑み、互いに批判し合いながら読みを鍛え上げた。その積み重ねは、中国の注釈史と並べて見劣りしない、日本の医学の達成です。私たちの研究は、その上に立っています。
方向は揃っても、三陰で割れた
経絡で立てる少数の書を除けば、六経を場所の名として読む点で、江戸の注家の大半は揃っていました。しかし、三陰をどこに置くかで、答えは四通りに割れました。
| 三陰の置き方 | 江戸の主な書 |
|---|---|
| 三陽と同じ場所の陰 | 劉棟『傷寒論劉氏伝』、宇津木昆台『医学警悟』、喜多村直寛『傷寒六経析義』『傷寒論疏義』 |
| 胃中の一所にまとめ、寒の緩急で分ける | 片倉鶴陵『傷寒啓微』、中村元恒『傷寒論句解』、川越正淑『傷寒論脉證式』 |
| 独立した場所を与えない | 中西深斎『傷寒論弁正』『傷寒名数解』、山辺篤雅『傷寒論箋註』、和田元庸『傷寒論精義外伝』 |
| 少陰を中心に一つにまとめる | 今岡元広『傷寒論明解』、谷其章『傷寒論筆得』 |
このほか、古林見桃『傷寒論闕疑』と山田業広『傷寒論札記』は、成無己に従って三陰を経絡・臓腑に配しました。
三陽を場所として立てながら、三陰に場所を与えない、あるいは胃の一所に押し込める。これでは、三陽と三陰を同じ一つの物差しで読むことができません。三陽と三陰の間で読みの整合がとれないまま、江戸の注釈は続きました。この四通りの割れは、江戸の注家が最後まで解ききれなかった問いの跡です。
『医学警悟』を採る理由
採否の物差しは、一つの読み方で条文をどこまで矛盾なく説明できるか、です。支持する注家が多いことは決め手にしていません。多数の注家が同じ方向を向いていても、三陰で整合がとれていなければ、その読みは条文全体を説明できないからです。
一、試験条文を最も整合的に説明した
宋板『傷寒論』から試験条文を選び、病位と陰陽で読む昆台型、経絡と日数で読む型、方と証の対応で読む型の三つで読み比べました。昆台型が最も広く、矛盾なく説明できました。昆台型で説明しにくかったのは、傷寒例の六経受病の条、太陽病が解けようとする時刻の条、厥と熱が日を数えて入れ替わる条です。いずれも、江戸の注家の多くが仲景の本文から外すか、別に扱ってきた条です。昆台型で説明しにくい条は、本文の層の問題とほぼ重なっていました。
二、三陰に答えを出し、三陽と三陰を一つの物差しで読む
昆台は、三陰は三陽とは別の場所ではなく、三陽の位の陰である、と一般的な命題として立てました。「其経六位アルニ非ズ、表裏ト表裏交トノ三部位ヲ以テ、其陰陽ヲ弁別シタルナリ」。場所は三つ、それぞれに陽と陰がある。これで、三陽と三陰が同じ物差しで読めるようになります。江戸の注家が割れたまま残した問いに、昆台は整合する答えを出しました。
この答えは、他の読み方が行き詰まる条を説明します。少陰病の始まりに熱が出る条は、経絡で読むと無理が生じます。昆台の読みでは、少陰は太陽と同じ表の場所の陰であり、表に熱が出ることに矛盾はありません。
三、六経を身体の上に置いている
昆台は三陽の部位を、伏せた姿勢・横向き・仰向けの三つで分けています。太陽は背面、少陽は側面、陽明は前面です。六経が、触れて確かめられる身体の場所に置かれています。体表と経穴で判断する鍼灸家の診察に、直接結びつく枠組みです。
四、患者さんにあることと、治療者の判断を分けている
昆台は八つの条目を立て、宿・因・本・病を医者が来る前に病者に備わっているもの、診・證・名・治を医者の判断として分けました。宿とは、今回の病が来る前にその人に備わっているもの全部であり、因とは今回の病を起こした始まりです。治療の後は、それまでの病証が宿に、与えた薬が新しい因になります。患者さんの事実と治療者の判断を分けて記録すること、再診のたびに判定し直すこと。MLMNが必要としていたこの二つを、昆台はすでに条目として立てていました。誤治の後に病の位置が移る条も、この手順でそのまま扱えます。
星野先生のご指摘について
星野先生は、昆台の医論には一般的な傷寒論解釈と相容れない独自性がある、と指摘されました。72書を読んだ結果から申し上げると、昆台が経絡の配当を退け、六経を場所の名として読む点は、江戸の注家の大半と同じです。昆台が独自なのは、三陰を三陽の位の陰とする一般的な命題として立て、三陽と三陰を一つの物差しで読み切った点です。三陽と同じ場所に陰を置く読みは劉棟にもありますが、それを命題として全体に通したのは、今回の調査範囲では昆台です。そしてその独自の部分こそが、江戸の注家の間で整合がとれていなかった箇所を埋めています。
主と客を分けるということ
星野先生からは、吉益南涯の主客論を挙げて、症状の主客を区別するよう教えていただきました。今回読んだ書では、九人の医家が「主」と「客」という語を使っています。ところが、何を主とし何を客とするかは、医家によって異なっていました。
| 何の主客か | 医家 | 本文 |
|---|---|---|
| 気・血・水という病の「物」の主従と、現れる順序 | 吉益南涯『医範』 | 黄連阿膠湯・建中湯・瓜蔕散はいずれも心中煩を治すが、気・血・水のどれが主かで方が分かれる。「主者先見、而客者後出、是知主客之法也」 |
| 病がある「場所」の主従 | 宇津木昆台『医学警悟』 | 表を主として裏が客、裏を主として表が客、表裏ともに主。「其主トナルノ部位即チ本ナリ」 |
| 同上 | 天野泰嶽『復古傷寒論徴』、林順泰『傷寒論通断』 | 合病を主となる部位で立て分け、主を治せば他は自ら除かれる |
| 一つの主たる症状と、それに従う症状 | 平野知両『傷寒論私考』 | 熱を主証、ほかを客証とし、主方は熱の位に従って選ぶ |
| 新しい病と、もとからある病 | 桃井桃庵『傷寒論古訓口義』 | 太陽を主、食傷を客とし、先に客を治して後に主を治す(金匱「先治其卒病、後乃治其痼疾」を引く) |
| 時間の前後 | 中西深斎『傷寒論講議』『傷寒名数解』 | 「下之後」の前の症を客、今の症を主とする。主客を「転機之本也、処方之要也」とする |
| 身体と病の関係 | 劉棟『傷寒論劉氏伝』 | 「陰陽者為主、疾病者為客」 |
| 条文を読む文法 | 谷其章『傷寒論筆得』 | 対句の一方を主、他方を客とする |
同じ「主客」の語で、少なくとも七つの異なる判断が呼ばれてきました。「主客を区別した」とだけ書いた記録は、何も判断を残していません。
そのうえで、私たちの立場を述べます。主客を分けることは目的ではありません。外邪が入り、その人の宿によって病態が変わり、客の現れ方によって気・血・水の様子も変わる。これは病態の変化として当然起こることです。問うべきは、その変化の根にある主、すなわち本は何かです。
ここでは九人の多くが同じ方向を向いています。昆台は主となる部位を本とし、天野泰嶽と林順泰は主を治せば他は自ら除かれるとしました。南涯も、先に現れる主を見定めるために主客を立てています。桃庵は先に客を治すと言いますが、それは新しく加わった卒病を除いてから、もとからある主を治すという順序であり、目標は主にあります。客の変化を追うたびに処方を変えれば、根は残ったまま、治療だけが揺れ動きます。
南涯の主客は、証から気・血・水のどれが主かを見分けて方を選ぶための規矩です。一つの証の中で主従を定めるには鋭い道具ですが、六経全体を一つの物差しで整合させるための枠ではありません。私たちは南涯の主客を気血津液層(L4)で用い、病がどこにあり、どの状態にあるかという判定はL6で行います。
MLMNでは、主客を次のように扱います。
- 患者さんが語った言葉と、症状が現れた順序を残す
- 治療者が判断した主(本)と、その根拠を残す
- 客は記録するが、治療の目標にはしない
- 再診では、客が変わったかではなく、主が動いたか、取れたかを判定する
L6第1版では、二つ以上の場所にまたがるとき、主となる場所を本として判定し、残りを客として記録します。
L6第1版の問いと範囲
L6第1版が問うのは三つです。外邪が今あるか。あるならどの深さ(表・表裏の交・裏)にあるか。身体が陽・陰のどちらの状態を示すか。昆台は三陽を「気道ニシテ進ヲ以テ主」、三陰を「血分ヲ以テ主トシ退キ陥ル」と述べています。六経の名はこの判定の見出しであり、経絡の配当、日数、方剤は定義に含めません。
第1版は急性外感の経過に範囲を限ります。昆台自身は六経を内から発する病や雑病にまで及ぶ枠として説いており、第1版はその一部を採ったものです。内から発する病と慢性病は、次の版で扱います。
病因層(L2)には、発端と新たに加わった因を日付つきで積み上げ、L6は再診のたびに判定し直します。同じ出来事が、ある病から見れば因、後の病から見れば宿となる。これは昆台の考え方そのものです。
図の読み方
横方向は、表・表裏の交・裏という三つの場所です。上段は太陽・少陽・陽明、下段は少陰・厥陰・太陰で、同じ場所に陽と陰の二つの状態を対応させています。上下は身体の上半身・下半身でも、軽症・重症の順でもありません。図中の現在地マーカーは説明用で、再診のたびに現在地を判定し直すという使い方を示しています。
各書は何を説いているか
72書について、それぞれの六経の読み方と判断の組み立てを一覧にまとめました。各行に、書名、著者・責任表示、要点、三陰の置き方、所蔵へのリンク(公開画像を確認できたもの)があります。
南涯関係の書は、『医範』(診断原理)、『気血水薬徴』(薬能分類)、『傷寒論章句』(本文構成)、『傷寒論精義外伝』(晩年の口説の筆録)を分けて扱っています。
鍼灸家にとっての意味
『傷寒雑病論』を外感病の分類名として覚えるだけでは、雑病との併存、治療後の変化、処置の優先順位を取り落とします。昆台の読みは、六経を背面・側面・前面という身体の場所に置き、主となる場所を本として定めます。鍼灸家にとっては、発症の順序、ともに現れる所見、治療歴、治療後の変化を、身体の上で問い直す枠組みになります。古典の方剤を経穴へ機械的に置き換えることはしません。
残る課題
この選択には、確かめるべき点が残っています。
- 試験条文の採点は一人の評価者によるもので、試験条文も昆台の論点を確かめるために選んだものです。別の評価者による独立した採点と、全条文への拡大で、整合性を確かめます。
- 場所の対応には劉棟『傷寒論劉氏伝』という先例があります。調査範囲は限られており、昆台を「最初」とは位置づけません。
- 昆台の「宿」は、平素の病・住む土地・飲食・性情までを含む広い概念で、MLMNの記録の区分とは一対一に対応しません。
- 論文中の引用は、巻と丁を原典の画像と照らし合わせて確かめ続けます。
- 同じ所見から同じ判定になるか、経過の予測が当たるかは、所定の倫理・匿名化の手続きを経て臨床で検証します。
本稿は文献研究の到達点の報告です。学会誌の査読を経たものでも、臨床的な有効性を確かめたものでもありません。
本文の補注
現代中医学における証候は、疾病の一定段階の病因・病性・病位・病勢等を概括するものとして説明され、研究においても動的変化の把握が求められています。本稿のL2・L6の区別は、その既存概念の欠如を指摘するものではなく、MLMNで記録と判断を分ける設計です。
北京市中医薬管理局掲載「証候類中薬新薬臨床研究技術指導原則」
『素問』「熱論」の進行・衰退・遺熱の記述(京都大学本 c0162)と、翻刻宋板『傷寒論』の治療後の脈証に応じて判断を改める記述(p066、p112)は、原画像で照合しています。
